NO.43
市川 淳
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 学生時代に大好きだった先生からこんなことを言われた。(もちろん今でもその先生は大好きだ。けれどめっきりこちらから連絡出来づらくなってしまった。当時何から何まで口うるさかった先生から優しい言葉でもかけられたらオイオイと泣いてしまいそうだからかもしれない。恐らく近いのは戦場で故郷の母を思う一兵士の気持ちだ)「作曲家は家を愛するものだ」と。「そして暇さえあれば曲を書け」とも。

 それから10年以上が過ぎて、僕はすっかり自宅を愛してやまない作曲家の端くれとなった。暇さえあれば曲を書いてはいないかもしれないけれども、外遊びに夢中になって仕事をほったらかしたりは出来ない性質になった。(以前は一度遊びに出かけると数日戻らないのが常だった)そして僕は今までは全く向き合ったことのない新たな問題と直面することになった。我が家に生協さん(orダスキンレディ)がやってくる時、である。

 都会の片隅で一人暮らしをしているうちは良かった。僕も御多分に洩れずしっかり宵っ張りの生活である。それどころか昼も夜もないような時期も多々ある。それでもマンションから一歩出ればコンビニやファーストフード店が軒を連ねて夜中でも煌々と明かりを照らしている。そういう街を三十路前後の男性が無精髭もじゃもじゃの半分寝巻き姿で夜中や明け方にフラフラ歩いていても誰も気にも留めない。ところが結婚と同時に郊外のファミリータイプのマンションに引っ越してから後は事情が少々異なることとなる。

 午前10時を回ったころには容赦なく来客があるのだ。日中妻は外出していることが多いので必然的にお留守番兼お昼寝中の僕が対応する事になる。新聞やら何やらの勧誘の類は一刀で切り伏せるので問題は無いのだが、宅配便などは(結婚というものは宅配便の数量がものすごい勢いで増えるものらしい)出ざるを得ない。そして最も難易度が高いのが生協のお兄さんがやってくるときである。僕の感覚ではそれは恐らく毎週木曜日の午前中だ。非常に眠っている率の高い時間帯である。生協のお兄さんというモノは何らかの特殊な手段を使ってオートロックのインターホンを既に突破して来ている。部屋の玄関口からのチャイム(あるいは連打)で僕は目覚めることになる。前述のボサボサかつモジャモジャかつグダグダのスタイルで僕がにょっこり顔を出すと、お兄さんは一瞬怪訝な表情をする。最初のうちは「怪訝な表情」だったのだが、回数を重ねるにつれて「あまりマジマジと見るのは心苦しいものを見る時のような表情」に変化してきているのだ。正直に言って、いかに寝起きで朦朧としているとはいえ、そういう視線の光線はわりと刺さる。突き刺さるのだ。「僕は音楽家で家で夜中に仕事をしているので今は寝る時間なんだ!ニートとか引きこもりとか社会不適合系のままイイ年になってしまっているわけじゃないんだ!」と叫びたい。でもそんな事不自然すぎてこっちから言い出せない。そして毎週僕は少しずつ胸を痛める事になる。

 さらに我が家にはダスキンレディというレディが隔週でやってくる。僕の感覚では金曜日の午前中であることが多い。言うまでもなく、最も眠っている可能性の高い時間帯である。そしてもっと悪いことにダスキンレディは我が家の浄水器を取替えに来るのだ。キッチンまで通さないといけない。この時のレディの行動のその迅速っぷり、無口っぷりは筆舌に尽くしがたいものがある。「お邪魔いたします」から「失礼致しました」まで2分と数十秒である。まさにプロである。隣の部屋の奥様とはのんびりにこやかに談笑しているであろうに。そしてそこでも隔週で僕は少しずつ胸を痛める事になる。

 結局そういった些細な事は気にしないしかあるまい。僕の心の問題だ、と解釈して生活を続けているのだが、その後ダスキンレディ金曜日の15時来訪。僕そのチャイムで起床という最悪のコンビネーションを決めてしまった時にはレディの最短作業時間記録大幅更新という結果に相成った。レディは下を向きっぱなしで僕にはもう刺さるハズの視線光線すら飛んでこなかった。・・・そして僕は次に先生とお話する機会を得たならこう問いたいと思っている。(もしもその前に優しい言葉などかけてもらってしまっていたなら男オイオイ泣き後の顔になる)「家を愛する作曲家というクリーチャーは厳しい世間の目とも戦わないとならないものなのですか?」と。

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