NO.69
中村正美
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会員の皆様へ

今回JCAA会員として参加させて頂きましたことを大変うれしく思います。
どうぞ今後とも宜しく御願い致します。

エッセイということで何かお役に立てる事と思い考えておりましたがなかなか思い浮かばず恐縮では
ございますが、私のプロフィール的な事と一緒に普段思っていることなどを書いて見たいと思います。

私は作家ネームがJamie Nakamuraでクレジットされている事が多いのですが、アメリカでの作品が
最初だった事もあり、ずっと英語表記を使用しておりますが、まったくの日本人です。
1986年に当時東京でキャバレーやハコバン、歌手のバックバンドで疲れ果てた自分は本場の音楽を
学びたくて単身でアメリカのロスに渡りました。

初めての海外でしたし音楽を通じて仲間も増えました。多民族社会ではやはり私は日本人とでしか
ステータスはありませんし、無国籍のアジア人としてではなく日本人として生活をするという事は
ナショナリティとしてアメリカ社会では特に必要だった事の様に思います。
同じように音楽もアメリカ人からは日本の音楽を聴かせて欲しいとよく言われました。
日本の音楽ってなんだろう?と当時考えた事を記憶してます。そんな時、普段弾いたことも練習もした事のなかった“さくら”など日本の四七抜きメロディーは私の血で在るごとく自然に弾けてしまう事に自分で驚きました。美しい日本のメロディーという感動は遠く離れた故郷に対する思いもあって大きな感動と涙した記憶があります。

逆にアメリカの音楽の特にブラックミュージックはリズムの感覚がとても深くグルーブが体感レベルになるには大変苦労しました。黒人達に“bad”(最高の褒め言葉)と言われる様になるまでには渡米して10年が経ってました。

父の急死によって母の病気の為、急遽日本に帰国する事になり、時間も経ってしまいましたがアメリカから帰国して間もない頃凄く感じた事はテレビで流れる音楽の違いでした。

アメリカは本物でしか生き残っていけません。特に音楽の世界もそうですが日本のアテブラーやクチパクと言ったフェイクは批判されますし嫌われます。

エンターテイメントであるという事ですから現実ではないにしてもフェイクだらけで、音楽に夢を持つアーティスト達は技術の面でも精神性の面でも方向性が見失ってしまうでしょう。音楽は技術だけではありませんし、エンターテイメント性は必要です。ただ文化、伝統も関係ない無国籍な音楽は海外競争力として海外では評価されないのではないか?本物の日本のアーティストと呼ばれるアーティストの育成・開発を昔の日本がやっていたように頑張らなければ、隣国に引き離されて行くのではないか?

世界では日本のメロディーを愛してくれる人達が大勢います。先輩達が創って来られた
軌跡を大切にしてナショナリティを持ったクリエイティブを維持する事も大切と思います。

少し愚痴っぽくなってしまった感があります。長々とすみません。
お付き合いありがとうございました。今出来る事をご一緒させて頂ければ光栄でございます。

今後とも宜しく御願い致します。
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