NO.102 2019.1.18

萩田光雄



「つぼ焼き」が美味しい季節の「つぶやき」

 もう5、6年も前だろうか、当時リットーミュージックのギターマガジン編集長だった野口さんから「編曲家・萩田光雄の本」を出しませんか?とお誘いを受け、のらりくらり逃げていましたが、とうとう観念して、去年「ヒット曲の料理人・編曲家萩田光雄の時代」を出版しました。
 その余波か、ラジオ出演3本、音楽雑誌、週刊誌などのインタビュー取材5回、更にトーク&ライブ・イベント出演など、自分の音楽人生を振り返り語る機会が多数ありました。情けないことに、もう30年も40年も前のことは覚えていないことが多く「毎日が忙しく、記憶に刻む余裕がなかった」と言い訳せざるを得ない始末! きっと現在忙しくしてらっしゃる方々も、未来に同じことが起こると思われます。
 さて、与えられた機会ではありましたが、いろいろ振り返って見て、2つの大きなことが見えて来ました。  ひとつ目はとても個人的なことです。拙著にも書いたことですが、高校に入った頃、父がステレオを買ってくれました。(勿論、今で言うオーディオ・システムのことです)間もなく始まったFM放送は音が良いということで音楽番組が主体で、私は学校から一目散に帰ると(なので、部活もやらず、友達づきあいも少なく、そういう思い出は殆どない)、毎日それらの放送を聴いていました。「オタク」だったのです。
音楽番組はクラシックもありましたが、青木啓さんのジャズ・スタンダードを含む「軽音楽」の時間や、中村とうようさん、安倍寧さんなどのDJで、世界中のポピュラーミュージックが紹介される番組が好きで愛聴していました。のちに、それらが私の音楽の骨格、血や肉になって行くのですが、そこにとても大事なことがあったのです。
 それは、当時レコードや音源を作れるのは「いっぱし」のプロだけでしたし、ましては海を渡ってFM放送で紹介される音楽は、すべて「一級品」だけでした。言い換えれば、本当に美味しい料理だけを食べていた私の舌は肥えていったのです。思い返せば、思い返すほど、幸運な時期だったと。そして、そのアイテムを与えてくれた父と母に、あらためて感謝し、胸が熱くなるのです。

 見えて来たもうひとつは、当たり前と言えば当たり前のことです。「いろいろなことがあったなあ」と思いながら人生を振り返ってみた時、そこに見えたのは、たった1本の道だった、ということです。うしろ向きに人生を見ると、そこには1本の道しか見えない、と気づきました。30才の人なら30年の道のり、70才の人なら70年の道のりが、たった1本の道として見えて来るのです。
 若い時には、可能性という意味で目の前には沢山の分岐点があります。自分の意志や時には運命のいたずらで、それらの分岐の中からひとつを選んだのです。
時に、「あの時、他のチョイスをしていたら、今頃どこで何をしていたのだろう?」と空想を巡らせるのも楽しいもの。私が小説を書けるような人間だったら、別の分岐を選んだ自分を主人公に、好き勝手なドラマを展開してみることでしょう。ロマンあり、アドベンチャーあり、なんて!
 さて、これから先はそれほど多くないでしょうが、どんな分岐が待っているのか。どの道を選ぶのか。山はあっても、谷はなるべくないことを願いつつ、ゆる〜い下り坂もいいなあ、などと思いつつ、ハラハラ、ドキドキの残り人生です。
 ところで、拙著の最後に書いたのですが、誰からもツッコミがないのでもう一度記します。今の私の心境を現した有名な歌詞(P.D)です。
Row, row, row your boat. Gently down the stream.
Merrily, merrily, merrily, merrily. Life is but a dream.


◎萩田光雄(はぎたみつお) Profile
1973年「ひとりぼっちの部屋」(高木麻早)で編曲家としてデビュー。
「シクラメンのかほり」で日本レコード大賞。「空飛ぶ鯨」「メランコリー」「女の夜明け〜第一章〜」で日本レコード大賞編曲賞を受賞。
「待つわ」「木綿のハンカチーフ」「異邦人」、「千の風になって」、「横須賀ストーリー」「秋桜」他4000曲を超える編曲を手がけ、印象的なアレンジで成功を支える。又「秋のIndication」「サンタモニカの風」ほかの作曲作品でも知られる。他に映画、ドラマ、CM、アニメ音楽も手がけてきた日本を代表する作編曲家。

 

                                      

 

                                                         

 

                      

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