NO.11

2002年以前に公開された記事です。

吉良知彦

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ZABADAKとして活動を初めて15年が経とうとしています。三人でデビューしましたが、今は一人ユニットという不思議な形態をとっています。でも実際のZABADAKは多くのミュージシャンに支えられた、不定型なアメーバ的存在というのが僕の認識です。実名の吉良知彦としても活動しているので、リスナーの方には少なからず混乱を与えているような気がします。「もう一人になっちゃったんだからZABADAKの看板は降ろして実名だけでやっていけばいいじゃないか。」「いつまでもZABADAKの名前に縛られているのは吉良知彦の音楽を成長させない原因になってはいないか?」などの意見をしばしば目にします。僕にはZABADAKを名乗り続けたい理由があります。それを書いてみようと思います。

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  僕のデビューは27歳と遅かったのですが、音楽活動は十代の頃から続けていました。いろんなバンドを作っては壊し、曲もいっぱい作りました。今は死語となった「ハコバン」ということも並行してやっていました。23歳頃、なんだか好きで始めた音楽にすっかり疲れてしまったことがあります。ライブで演奏しても楽しくないし、曲を作っても嬉しくない。音楽から光が消えてしまったような悶々とした時間を過ごすうちに、あるアーティストのアルバムに出会いました。その音楽はとても暗くて、なにか狂気のようなものを孕んでいました。しかし、素晴らしく自由な音楽でした。既に名声を得ていたアーティストだったのですが、それまでの作品とは明らかに違った音楽への視線が感じられました。誰かのために作るのではない、自分を喜ばせるためだけの音楽、それに向かう意志を僕は自由なものと感じました。好きなアーティストを改めて見てみるとそういう視線をもった人が少なからずいることも知りました。そうか、自分のためだけに音楽を作っても良いんだ、じゃあそうしよう。それがZABADAKの始まりでした。気が付いてしまえばとても簡単なことでした。僕がうれしい僕だけの音楽、そんなものを作り始めました。独りよがりでわがままで鼻持ちならないものなのかもしれません。それでも全然構わない、と思いました。音楽にヨロコビが戻りました。進む方向が見つかり進む勇気を持てたような気がします。その時見えたうすぼんやりした道のようなものを今も進んでいるわけです。一方で誰かにこんな音楽を作って欲しい、と依頼を受けた時は吉良知彦として作ります。そこでは依頼にどれだけきちんと答えられるか、ということに力を入れます。実はこちらはこちらで僕には楽しい世界です。思いもしなかった世界に行くこともできます。でもそれもZABADAKあればこそ、であります。帰るべき場所があるから何処へだって行ける、ということなのだと思います。このスタンスが僕にはとても具合がいいので、ずっとそんな考え方でやって来ています。


◎吉良知彦(きらともひこ) Profile
●1959年12月6日 山梨県生まれ 名古屋育ち
●ギター、ベース、キーボード、ブズーキ、様々な打楽器他、多数の楽器をあやつる。
●幼少の頃より父の民族音楽レコード・コレクションを聴いて育つ。趣味は昆虫採集。長男草太郎(そうたろう)と共に虫取りに行く日を夢見る。自然をこよなく愛し、農業にいそしむ。

1985年ZABADAK結成。幾度かの変遷を経て、1994年以降は吉良知彦のソロ・ユニットとなる。さまざまな音楽要素を取り入れながら、ほかに比較の対象を持たない独自の音楽世界を追求している。また現在はZABADAKの活動と並行して、演劇集団キャラメルボックスの公演、映画、ビデオなど、さまざまな舞台や映像作品に音楽を提供、常に新しいファンを取り込んでいる。

★ホームページ  
http://www.zabadak.net/


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