NO.123-3
鍋島佳緒里

和服と共に

今回は和服にまつわるお話です。父がスウェーデン資本の会社に勤務していたためか、子供の頃は週末は外国人のお客様がよく自宅にみえました。小学校6年生の時、母から着物を着せられ、母も着物で外国人のお客様のおもてなしを家族でしたのをよく覚えています。七五三以来初めての経験でした。着物姿は外国人にはそれはエキゾティックで神秘的に映ったようで、皆様とても喜んで下さいました。さらに叔母は茶道の師範でしたので、夏のお点前は浴衣でお稽古だったりと、和服は小さい時から身近でした。嫁ぎ先の姑は和裁と着付けの先生でした。常に一年中、夏でさえも着物はたくさん身の回りにあったのでした。
和服を着ると自然と日本の文化を認識せざるを得なくなります。まずは季節の変わり目に敏感になります。一年は12カ月ありますが、日本の暦では春・夏・秋・冬、の四季をさらに六つに分け、二十四節気(せっき)と呼び、それによってその季節に着る着物の材質や種類が変わる、という習慣があります。
10月から5月まで着る袷、6月と9月にしか着ない裏地のない単衣(ひとえ)、7月8月の盛夏に着る絽、紗、上布(麻)、縮み(麻)など、日本人は大変季節に敏感な民族だったのだと驚きます。さらに染めの着物、織りの着物、染めの帯、織りの帯など、とても多彩な材質とデザインの組み合わせを楽しんできたわけです。茶道の世界では和服の季節感についてのしきたりはとても厳格ですが、温暖化が進んでしまっている昨今では、日常的な生活での和服生活は全て前倒しで先取りしていかないと暑くてとても着物を楽しむ、ということができなくなって来ました。かくいう私も肌襦袢は通年、麻を愛用しています。
着物は頭で考えるのではなく、感覚で着付けるのが理想的です。特に手先の感覚が様々な着物の特徴をよく覚えていて、この帯ならここから締め始めるとお太鼓柄が中央に来る、とかこの着物は少しゆるく着付けないと背中の衣紋が抜けなくて首元が締まってきてしまう、とか生地の硬さ、柔らかさ、絹か麻、などによっても着付けを相当変えていきますが、手先がそれを自然と覚えているのをいつも不思議に思います。足袋、そして下着の肌襦袢から始まり長襦袢、着物、小物、帯、帯締めに至るまで、何層もの工程を経て着付けが終わりますが、慣れてくると20分ぐらいで着られるようになります(もっと早い方もいらっしゃいます)。この工程が着物好きにはとても楽しいプロセスでシュッシュ、という衣擦れの音と共にリズミカルに着物姿が出来上がってくる間、無心に近いです。手先だけが勝手に動いている感じ。それは音楽を習って来た自分には、何も考えなくてもピアノソナタは暗譜して最後まで弾ける、そんな感じと似ています。40歳になった頃は国際音楽祭の実行委員を務めることが多くなり、海外からの作曲家や演奏家をお迎えしての7〜10日間、会場の東京や横浜ではホスト国のスタッフとして連日和服で来日アーティストのお世話をしたり英語での司会を仰せつかったりしました。和服は日本が世界に誇れる長い歴史を持った、文化人類学的にも確固たる特徴を持っています。和服を知る習慣ができ、着ることも楽しめる事はどれほど幸せでしょうか。地球温暖化が進んできている今後は、昔の伝統的な着方や布の重ね方では暑すぎて楽しめない、という状況になっていくでしょう。そのために、現代の繊維の最先端の技術なども取り入れながら、伝統は継承しつつ和服を着続けられたら、と思っております。


123_3_1.jpg
盛夏に着る夏絣に羅の帯(母の形見)

photo by Keishi Aoki




123_3_2.jpg

イタリア4大歌劇場の一つ、バーリ歌劇場初来日の際にオーケストラのヴァイオリニスト カルミネ・リッツィ氏が同時にジャパン・リサイタル開催。委嘱を頂きバイオリン・ソロ東京初演の際のショット。単衣の紬に芯地の入っていない絽綴れ帯で。




123_3_3.jpg
アジア音楽祭で実行委員として役員の湯浅譲二氏と。夏お召しに絽の帯で。




◎鍋島佳緒里(なべしまかおり) Profile
1960年東京生まれ。武蔵野音楽大学卒業後、放送・演劇の分野でキャリアを積み1996年サントリーホールブルーローズにて個展演奏会開催。国内コンクール入賞後ベルギーとの往復をしながら創作活動を展開。作品はパリ国立高等音楽院を初めヨーロッパの大学で毎年のように卒業試験の課題曲に採用され、近年ではニューヨーク大学、カレッジ・オブ・ニュージャージーの卒業演奏、マスタークラスにも採用され、さらにスペイン、オーストラリア、ハンガリー、チリ等、初演、再演の機会が海外に広がっている。全音楽譜出版社、音楽之友社、カワイ出版、佼成出版社他より出版・録音発売されている。
←|今月の作家トップページへ