No.1302024.12.2
11月のパリ。焼き栗とホットワインの甘い香りが漂う街角、朝市には立派な野菜や見慣れない魚が並ぶ。夏のオリンピックの余韻も、遠くないはずの国の戦争の影も感じさせない、穏やかで日常的な風景が広がっている。冷たい空気が冬の到来を知らせていた。
パリを訪れるのは今回で6度目だ。出不精な私にしては例外的に多い。初めて来たのは子供の頃、地理教師で旅行好きの両親に連れられたヨーロッパ周遊の途中だった。フランスの印象はとにかく「食べ物が美味しい国」だった。それだけは今でも鮮明に覚えている。
二度目は音楽の仕事を始めた後、「フランス風に」という依頼を受けてのことだった。「ならばまずは現地で」と、渡仏してアパルトマンを借り、2週間のワーケーションを試みた。当時の私にはパリでの毎日は刺激に満ちていた。大小さまざまなコンサートを聴き、美術館や教会を巡り、カフェやレストランで食べ歩き…結局、パリでは作曲がほとんど進まず、日本に帰ってから慌てて仕上げたのも懐かしい思い出だ。この経験が、パリという街に親しみを覚えるきっかけになった。
その後、妻との旅行で訪れたこともある。妻が中世フランス風のロリータ服に身を包み、オペラ座で観劇を楽しんだ際には、逆に現地の観客たちから記念撮影を求められるという出来事もあった。文化の交差点で起こる微笑ましいひとコマだった。
一昨年、パリ在住のフランス人ボーカリストのレコーディングで再びこの地を訪れた。コロナ禍でリモートが主流となっていた時代に、あえて現地で録音するという贅沢。だが、ミュージシャンと直接対面することで生まれる化学反応はやはり格別で、結果的に素晴らしい作品を作ることができた。その経験が再び私をパリへと導き、今回も同じアーティストの録音でこの地に足を踏み入れた。
驚いたのは、この2年間で街がかなり清潔になっていたこと。交通機関の切符もスマートフォンに対応し、利便性が格段に向上していた。賛否両論あったオリンピックだがこのような恩恵は旅行者には素直にありがたい。
街の書店を訪れると、バンド・デシネ、アメコミと並んで翻訳された日本の漫画が数多く見かけられた。アニメ化された作品も多く、私が音楽を担当したアニメの原作を見つけたので思わず土産に買ってしまった。話には聞いていたが日本のコンテンツがここまで浸透しているとは想像以上だった。いつかこの街で、自分の音楽を披露するコンサートを開きたいという思いが芽生えた。
また今回、世界的に著名な作曲家のプライベートスタジオを見学する機会にも恵まれた。巨大なワンフロアに、アナログからデジタルまで多種多様な楽器や機材が並び、音楽制作に特化した純粋な創造の場が広がっていた。日本でこの規模のスタジオを持つのは金銭的に難しい。しかし、日本の作品が海外でさらに広がり、適切な収益が確保されるようになれば、いつか同じ夢が実現するかもしれないと希望を抱いた。
余談だが、滞在中に50年ぶりという大雪に見舞われた。私たちが慌てる一方で、現地の人々は淡々と対応しており、その姿がとても印象的だった。厳しい自然と長年向き合い続けてきたヨーロッパの国民性が育んだ、したたかさの表れなのかもしれない。
こうしてまた一つ、パリとの思い出が増えた。
音楽と街、そして自分自身が織りなす物語が、静かに紡がれていく。
◎神前 暁(こうさき さとる) Profile
作編曲家。1974年生まれ、大阪府出身。京都大学工学部情報工学科卒業。
株式会社ナムコを経て、2005年より有限会社モナカに所属。アニメソングと劇伴音楽を中心に活動中。
代表作品は「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズ、「物語」シリーズ、「THE IDOLM@STER」シリーズ、「Vivy -Fluorite Eye's Song-」、「オチビサン」、「BEASTARS」、「薬屋のひとりごと」など
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神前 暁
11月のパリ。焼き栗とホットワインの甘い香りが漂う街角、朝市には立派な野菜や見慣れない魚が並ぶ。夏のオリンピックの余韻も、遠くないはずの国の戦争の影も感じさせない、穏やかで日常的な風景が広がっている。冷たい空気が冬の到来を知らせていた。
パリを訪れるのは今回で6度目だ。出不精な私にしては例外的に多い。初めて来たのは子供の頃、地理教師で旅行好きの両親に連れられたヨーロッパ周遊の途中だった。フランスの印象はとにかく「食べ物が美味しい国」だった。それだけは今でも鮮明に覚えている。
二度目は音楽の仕事を始めた後、「フランス風に」という依頼を受けてのことだった。「ならばまずは現地で」と、渡仏してアパルトマンを借り、2週間のワーケーションを試みた。当時の私にはパリでの毎日は刺激に満ちていた。大小さまざまなコンサートを聴き、美術館や教会を巡り、カフェやレストランで食べ歩き…結局、パリでは作曲がほとんど進まず、日本に帰ってから慌てて仕上げたのも懐かしい思い出だ。この経験が、パリという街に親しみを覚えるきっかけになった。
その後、妻との旅行で訪れたこともある。妻が中世フランス風のロリータ服に身を包み、オペラ座で観劇を楽しんだ際には、逆に現地の観客たちから記念撮影を求められるという出来事もあった。文化の交差点で起こる微笑ましいひとコマだった。
一昨年、パリ在住のフランス人ボーカリストのレコーディングで再びこの地を訪れた。コロナ禍でリモートが主流となっていた時代に、あえて現地で録音するという贅沢。だが、ミュージシャンと直接対面することで生まれる化学反応はやはり格別で、結果的に素晴らしい作品を作ることができた。その経験が再び私をパリへと導き、今回も同じアーティストの録音でこの地に足を踏み入れた。
驚いたのは、この2年間で街がかなり清潔になっていたこと。交通機関の切符もスマートフォンに対応し、利便性が格段に向上していた。賛否両論あったオリンピックだがこのような恩恵は旅行者には素直にありがたい。
街の書店を訪れると、バンド・デシネ、アメコミと並んで翻訳された日本の漫画が数多く見かけられた。アニメ化された作品も多く、私が音楽を担当したアニメの原作を見つけたので思わず土産に買ってしまった。話には聞いていたが日本のコンテンツがここまで浸透しているとは想像以上だった。いつかこの街で、自分の音楽を披露するコンサートを開きたいという思いが芽生えた。
また今回、世界的に著名な作曲家のプライベートスタジオを見学する機会にも恵まれた。巨大なワンフロアに、アナログからデジタルまで多種多様な楽器や機材が並び、音楽制作に特化した純粋な創造の場が広がっていた。日本でこの規模のスタジオを持つのは金銭的に難しい。しかし、日本の作品が海外でさらに広がり、適切な収益が確保されるようになれば、いつか同じ夢が実現するかもしれないと希望を抱いた。
余談だが、滞在中に50年ぶりという大雪に見舞われた。私たちが慌てる一方で、現地の人々は淡々と対応しており、その姿がとても印象的だった。厳しい自然と長年向き合い続けてきたヨーロッパの国民性が育んだ、したたかさの表れなのかもしれない。
こうしてまた一つ、パリとの思い出が増えた。
音楽と街、そして自分自身が織りなす物語が、静かに紡がれていく。
◎神前 暁(こうさき さとる) Profile
作編曲家。1974年生まれ、大阪府出身。京都大学工学部情報工学科卒業。
株式会社ナムコを経て、2005年より有限会社モナカに所属。アニメソングと劇伴音楽を中心に活動中。
代表作品は「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズ、「物語」シリーズ、「THE IDOLM@STER」シリーズ、「Vivy -Fluorite Eye's Song-」、「オチビサン」、「BEASTARS」、「薬屋のひとりごと」など