NO.26 2003/10/2


 

 

若松正司 Wakamatsu Masashi 
Profile


 こんにちは。若松正司です。75歳。我ながらいつの間にか年を取ったものだと改めてびっくりしますが、まだ元気な現役として働いています。

 小さい時からオーケストラの響きが好きで、そのような曲を書いたり指揮をしたりすることが出来たらどんなにいいだろうと、憧れ続け、独りで勉強しました。両親が許して呉れなかった音楽の道でしたから、プロになるつもりもなく、またなれるわけがないとも思っていました。

 25歳の時、不思議なチャンスが訪れ、民間放送の音楽番組の編曲を1曲だけしました。僕にとっては道楽の果ての楽しい出来事だったのですが、直後に編曲料というお金を頂き、その上もっと書いて欲しいと頼まれました。僕は世の中に、作曲家という職業はあるが、作曲の一部でしかない編曲が、収入を伴う職業として成立するとは思ったこともない世間知らずだったので、正に夢のような出来事だったのです。何故なら、好きで書いたものが音になる上に、お金まで頂けるのですから。

 この日以来、僕の人生の方向はがらりと変わりました。翌、昭和29年、編曲で生計を立てるという実業の作曲家としてスタートしたわけです。独りよがりにならないよう、服部正氏を師と仰いで本格的に勉強したのはそれからのことでした。その後、この道は決して順風満帆と言うわけには行かないことも、幾度となく体験しましたが、多忙の余り徹夜続きで、体力の限界に挑まなければならないような日々は、「辛い」と言いながらも、作曲家として求められているという喜びを支えに頑張って来ました。編曲でスタートした僕は、編曲家のレッテルで見られるためか、仕事として作曲を依頼されるようになるには数年を要しました。好きなことで苦労するのは好きでもないことで安穏と生きるより、遥かに価値あることだと思い込んでいます。だからずっと後に、息子の歓が「作曲家になりたい」と言い出した時、反対は出来ませんでした。苦労するとしても生き甲斐を音楽に見つけてくれて良かった、と思っています。

 考えてみると、「作曲家という職業は、国家試験もなく、免許の書き換えもなく、社会保障もないが、自分で言い張れば成立する(作曲家池辺晋一郎氏談)」という、生活基盤の極めて弱い職業です。かつて、あるデパートの売り場で、特典が付くから「会員」になるよう勧められ、その場で申し込み用紙に必要事項を書き込みました。当然職業欄に作曲家と書くと、その店員は訝しそうにその書類をもって奥に入り、暫く出てきませんでしたが、やがて恐る恐る僕に尋ねました。

「あのー、すいませんが、代表作は何でしょうか?」

 この時、僕はまだ無名なのだと再確認し、こういう場では、サラリーマンの方が圧倒的に強いと言うことも今更のように思い知らされましたが、それでも、僕は作曲家であって良かったと思っています。何故なら、音楽が好きだからです。

 さて、今週の僕は、現在これから録音の、NHKTV番組「みんなの童謡」;「思い出の愛唱歌大全集」などの編曲をしている毎日です。


プロフィール:

 1956年慶応義塾大学経済学部卒。作曲を服部正氏、指揮を高階正光氏に師事 
1993年第23回日本童謡賞受賞。現在(社)日本作曲家協議会監事、(社)日本童謡協会常任理事、日本作編曲家協会監事。 (財)ヤマハ音楽振興会理事。 

                      

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