NO.28 2004.1.15

猿谷紀郎

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今年もダイエットしつつ幅広く

  皆様はじめまして。昨年暮れにお仲間に入れて頂いた猿谷紀郎です。「今回は新入りのお前が、何か書け」という事で、恐れながら、勝手な事を書かせて頂く事になりましたが、せっかくですので、昨年一年をざーっと振り返って思い起こしてみようと思います。
  昨年の正月そうそう「蕨野行」という恩地日出夫監督の映画の音楽を書いておりました。これは素晴らしいお話で、年寄りがある年齢を過ぎると、蕨野と呼ばれる山奥に行き、死を迎えなければならないという、人間の持つ残酷性と、生きて行く事の厳しさを正面から見つめた素晴らしい映画だったのですが、市原悦子さん、中原ひとみさん、石橋連司さんが、役の上で死ぬところを、ビデオで、さんざん見ながら曲を作って、正月を過ごした思い出があります。飢えて死ぬわりには、みんな丸々してるなあ、なんて思いながら、同時にそんな事は思っちゃいけないなあなんて考えた事を思い出します。
  やがて春になり、大阪のいずみホールにて、私のオーケストラ作品の個展が開かれました。これはサントリー音楽財団の主催によるもので、それまでに作曲家の室内楽の個展シリーズとして続いてきたものを昨年からガラッと模様替えしたいという事でお引き受けしたものでした。私のオーケストラ作品をならべたところで、あまり刷新された印象をお客さまに与える事は出来ないだろうと考え、思いを巡らしました。そこで、以前より注目していたメディアアーティスト、岩井俊雄さんに御協力をお願いしました。彼は、現在もNHKのデジタルスタジオの主宰をしていますが、丸ビルのオープニングで作品を発表したり、坂本龍一との半透明のスクリーンをピアノにはめ込んだ作品とか、スタジオジブリの博物館に作品がどーんと置いてあるようなそんな作家です。丁度、一昨年にノルウェーでの日本年に発表した私の笙のコンチェルトがあり、それを彼がとても気に入り、その笙の音にリアルタイムで反応するシステムを彼がコンピュータにプログラミングし、音と画像とのいわゆるインターアクティブなコラボレイションをいたしました。残念ながら、私は大阪センチュリー交響楽団を指揮していたので、その画像を見る余裕が全くなかったのですが、後で聞いたところによると、笙の音色が光になり、それが天にかえって行くような、幻想的な世界が繰り広げられていたようです。このコンサートの前半にお客さまに対して、?978年頃、私はロックバンドをやっていて、非常に初歩的なレーザーを使って模様を描かせたり、テレビの画面を積み重ねてその場で撮ったビデオを流したりといった事をやっておりましたという事をトークの際にふれました。自分自身も既にそのような記憶は遠い昔の事として、一つの創作として完結したものだと思っていたのですが、聴覚と視覚という同時に完結させなければならない芸術となった瞬間、過去の記憶が一瞬にして蘇ってきて、芸術には完結がないということをあらためて知らされ、思わずお客様にそのことをお話してしまったことを思い出します。
  秋には、薬師寺最勝会復興上演の音楽監督として、雅楽の団体である伶楽舎に書いた音楽、そしてフラメンコダンサーの蘭このみさんの舞踊のためのコンピュータを用いて書いた音楽と、ともに芸術祭賞大賞を受賞することができました。勿論その企画が評価されたことであると感謝しておりますが、NHKFMのオーディオドラマ「怪し野」も芸術祭賞優秀賞を頂き、1978年以来、音楽は幅の広さであるということを、モットーにしてきた私にとって、何か収穫を得ることができた一年だったと思います。これからも、できる限り幅広く音楽活動を展開させて行きたいと思っておりますが、皆様に更に新しい分野に関して御指導を賜ることができれば、これ以上の幸せはないと思っております。
  ところで前回の会報の最終ページの、「今年も有り難うございました」の写真で、ペコリとお辞儀をしているのは、私でございます。これは、お仲間入りさせて頂いた私の本心のあらわれと思って頂ければなによりです。これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。


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