NO.42
南林弥宏
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 はじめまして。南林弥宏(なんばやし みつひろ)と申します。1972年9月8日生まれですので、気付いてみれば既に30歳を越え、音楽の道では、やっとよちよち歩きながら、どうにか進み始めましたが、未だ人生のパートナーには巡り合えず独身です。

 こんな自分のこれまでを少し振り返ってみたいと思います。「音楽の道に進みたい」と思ったのは小学6年生の時でした。学校での僕は、大勢の中で遊ぶよりも、花壇の花を観察したり詩を書いたりするのが好きでしたので、家に帰るとFMから流れるイージーリスニングを聴くのが楽しみでした。そんなある日、「僕はポール・モーリアの音楽を沢山聴いて知っているけど、彼はこんな島国の小学生が、自分の音楽を聴いているなんて知らないだろうな。」と思いました。その時に「僕も、自分の知らない国の人達にも喜びや感動を与えられる音楽を作りたい!」と思ったのが切っ掛けでした。

 中学校に入学すると、音楽の入門書を買って来て、自分で音楽の勉強を始めました。それまで学校の授業以外で音楽を習ったことはなかったので大変でしたが、ドラムやギターの教則本でリズムパターンや楽譜の書き方を勉強したり、和声の本でハーモニーを勉強したり、全てが新鮮で楽しい毎日でした。

 高校に入学してからは、きちんとレッスンを受けたいと思いまして、石原裕次郎さんや、三波春夫さんのアレンジャーとして「夜霧よ今夜も有難う」や「銀座の恋の物語」等を編曲された山倉たかし先生の門下に入り正式に音楽の勉強を始めました。

 大学は、「歌詞を理解出来るアレンジャーになりたい」と東洋大学文学部国文学科に進みました。山倉たかし先生が学部長を務める尚美学園の作曲部門にも籍を置いていたのでダブル・スクールでしたが、ビッグバンドのスコアを書いたり、アジアの留学生達とグループを組んだり、作品を合唱の教材に採用して頂いたり・・・と充実した日々を過ごしていました。

 宮川泰先生との出逢いは、「音楽の料理人たち」というNHKの番組を見て宮川先生の虜になってしまたんです。なんとか宮川先生に師事させて頂けないものか・・・と毎日思いながら過ごしていました。夢や希望って強く持ち続けていると叶えられるものなんです!忘れもしません。1995年10月21日、オーチャード・ホールの楽屋に宮川先生を訪ねて行きました。今思えば無謀で大変失礼でしたが、先生は優しく迎えてくださり、「じゃ〜来るか?」と暖かく受け入れて下さいました。それから約10年間。僕にとって先生は恐い人でありましたが、心から叱って下さる唯一無二の人でした。先生自らがピアノを弾きながら教えて下さる時は、僕にとって至福の時間でした。喜びと緊張が入り混ざったあの、時の流れ。まだまだ先生には教えて頂きたい事が山ほどあるのに、もうあの時間を過ごせないと思うと涙は止まりません。

 そんな僕の現在ですが、「自信満々」と「自信喪失」が絶えず交差しています。「オレってさすがだナ!」って思う時と、何を聴いても他の人の作品が素晴らしく聴こえてナーバスになる時と。メロディーが浮ばずペンが進まない時は泣きたい気持ちにさえなるけれど、スラスラとメロディーが浮ぶと「誰かのメロディーじゃないか?」とかえって疑心暗鬼になって、結局書き直したりします。依頼の電話が来るとブルーな気持ちになるくせに、来ないと心配になる。こんな風に色んな気持ちが交差しても音楽を続けて行けるのは、やっぱり音楽が好きだからだと思います。「音楽好きなの?」って質問されると「漁師さんに釣りが好きか?って尋ねるかい??」みたいな気持ちになるけれど、やっぱり音楽を愛する心が全ての原点であることは否定出来ないですね。

 作品が出来上がった時の喜びは大きいので、音楽をやっていて辛いと思ったことはありませんが、一度だけ、こんな現実を思い知らされる事がありました。ある日、インターネットで「海外で出版されている楽譜を買いたい」と思った時に、クレジットカードが必要になりました。そこでカードを作る為の手続きをしたのですが、その書類の職業欄に「作曲家」と書いて送付した所、「カードは作れません」と審査で落ちてしまいました。そこで非常勤として教えに行っている所が、株式会社の法人になっているので、そこの社員という事で改めて書類を提出しました。すると今度は審査が通ってカードが発行されたのです。

 自分に出来ることは小さいけれど、音楽を職業としている人達への世間一般のイメージを少しずつでも変えて行けたらなぁ〜と思います。そればかりかインターネットの普及による音楽配信、コンピューターの普及による音楽のコピーは、どれだけ作編曲家の権利を侵害しているでしょうか?著作権の啓蒙、そしてアレンジャーの地位向上など、自分に出来ることを例え小さな声であっても伝えて行けたらなぁ〜と思います。こうやって作曲を続けられるのは、これまで宮川泰先生を始め、多くの方々に支えられて来たからです。常に感謝の気持ちを忘れずに、これから音楽を目指す方にとっても明るい世界である様に頑張って参ります。

どうぞこれからも宜しくお願い致します。
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