NO.482008.1.7
皆様はじめまして。堀江由朗と申します。
巨匠の諸先輩が揃っていらっしゃいます中で、私事で大変恐縮ではございますが、私と音楽との関わりについて、お話しさせていただこうと思います。
3、4歳の頃から姉の影響で、何気なくピアノを習い始めたのが、少しだけ意識した音楽との出会いでした。ト音記号を書くことは、いつも歪なかたちになるのでとても嫌でした。
以後、何の目的もなく、ただ難易度の高い曲が弾けるようにとレッスンに通っていました。
小学校に入ると何故か歌謡番組に魅せられて「スター誕生!」をよく見ていました。
何か電球のようなものが回転する舞台装置があり、合格か不合格かが決まるというもので、他人事なのに、妙に心臓がドキドキするほど興奮したことを覚えています。
小学校中頃になると「ザ・ベストテン」という歌謡番組を欠かさず見るようになっていました。誰が1位なのか? あのパラパラパラとめくれるボードに魅せられていました。子供ながらにボードの中に、ヒットして相当年月が経つ歌手の名前がパラパラ感を出す為の出汁に使われていることは見逃しませんでした。
その番組内で演歌からニューミュージックと呼ばれたものまで、多くの歌謡音楽を聴くことが出来ました。
今から考えると、そこには「心」に響く音楽があり、またその音楽を受けとれる「人間」がいた良き時代だったと思います。
テレビに登場しない歌手の為に、何度淋しいミラーの扉を見たことか....。
そんな中、小学校5年生の時に「これだ!」と思う音楽にめぐり逢いました。それは当時のテレビ番組で実写版「孫悟空」の主題歌に使われていた「ガンダー ラ」「モンキーマジック」という曲でした。500円で初めて自分の意思でシングルレコードを買いに、大阪の藤井寺にあるジャスコ内のレコード屋さんに行ったことは、今でも感動の出来事として鮮明に覚えています。
中学になると、洋楽、歌謡曲、ロック、テクノ、クラシック、ジャズまで、ジャンルを問わず、いろいろな曲を聴くようになり、作曲を習っていた訳ではなかったのですが、何気なく作曲するようになっていました。
ふざけた歌詞付きの曲をクラスメイトにアカペラで聴かせたところ爆笑を誘い、それに気を良くして作っていた気がします。(今も進歩していません。)そんな曲が、学校内のクラス対抗の合唱曲に選ばれてしまったことには参りました。担任に「唄ってみろ!」と怒鳴られ、散々恥をかいたことを覚えています。
それにも懲りず、作曲には益々興味を抱いてしまい、本当は歌謡曲を習いたかったのですが、流れで音楽大学の先生にアカデミックな和声、対位法、楽理、作曲法などを教わるようになってしまいました。以後大学卒業まで、その恩師である七ツ矢博資先生の厄介物になってしまいました。
高校に入って間もない頃、何かの用事で八尾にある西武百貨店に行ったおり、誰だか知らない人のコンサートの看板が目に入り、「当日券あり、1000円」ということだけに釣られ、100人も入らないような、百貨店内のちっぽけなホールで、運命的な「人」と「音」に出会ったのです。
ホール内は、買い物袋から出た夕食のお惣菜の匂が立ち籠めていました。買い物用ビニール袋がパリパリとこすれ合う、家庭的?な雰囲気の中で天才は現れました。トコトコと歩いて来られ、ペコリと軽く会釈され、ピアノの椅子に腰掛けられたと思うと、もう弾き始められておられました。なんの気負いもなく、ただ淡々と心地よい音を奏でられます。「こんな人見た事が無い!」「こんな音も聴いたことがない!」何の威圧感もなく、我々民衆(買い物帰りの主婦と私)を優しさで包まれます。多楽章形式の曲で、お約束通り皆が楽章ごとに拍手をされるも、にこりと笑顔されお辞儀で応えられます。私の音楽観念に対する絶対軸だけでなく、生き方の軸が決定された瞬間でした。
その方の名は「高橋悠治」さんです。私の恩師とも在学時代の先輩後輩にあたり、何とも不思議な御縁でした。以後、現代音楽を聴きに行くと、必ずといっていいほど、悠治さんがピアノを奏でられておられました。今なお作曲家兼ピアニストとして活動されておられますが、益々神がかった素晴らしい音と作品を奏でていらっしゃいます。
大学卒業後、何気なくゲーム会社に就職し、そこで作曲以外に、効果音、スピーカーの設計、朝の体操から人間関係に至るまで、さまざまな事を学ばせていただいたことは、大学時代に凝り固まった音楽観念をリセットして頂くよい機会になりました。また、たくさんの事を教えていただきました。
6、7年後に会社を円満に退職し、その後、佐藤雅彦さんと共にいろいろな作品を作ってまいりました。
先日、JCAAの忘年会が、都内のホテルでありましたので、無謀にも勇気を出して参加させて頂きました。そこには日本の歌謡界だけではなく、さまざまな音楽を築いてこられた先生の皆様が揃っておられまして、かなりビビリながらも、楽しく刺激的な一夜を過ごさせていただくことが出来ました。大変幸せでした。 ユーモアと優しさ、寛容さに秀でていらっしゃる先生ばかりでしたので、私も人としてこういう歳のとり方をしたいもだとつくづく思いました。
この場をお借り致しまして御礼申し上げます。
また、忘年会に潜入できるよう「何でもやりまっせ!」という気持ちで楽しく、何気なく頑張って参りたいと思います。
このような私ですが、皆様どうぞよろしく御願い致します。
音楽を通して、素晴らしい人達に出会えることを心から感謝しております。
長文、乱文大変失礼いたしました!
◎堀江由朗 (ほりえよしろう) Profile
生年月日:1967年5月22日生まれ。
出身地:大阪府
大阪芸術大学音楽学科作曲専攻卒業
NHK教育テレビ「だんご3兄弟」「あっという間劇場」他
第41回日本レコード大賞特別賞受賞
第14回日本ゴールドディスク大賞Song Of The Year受賞
1999年度オリコン年間シングルセールスチャート1位
2000年JASRAC賞銅賞受賞
←|今月の作家トップページへ
堀江由朗
皆様はじめまして。堀江由朗と申します。
巨匠の諸先輩が揃っていらっしゃいます中で、私事で大変恐縮ではございますが、私と音楽との関わりについて、お話しさせていただこうと思います。
3、4歳の頃から姉の影響で、何気なくピアノを習い始めたのが、少しだけ意識した音楽との出会いでした。ト音記号を書くことは、いつも歪なかたちになるのでとても嫌でした。
以後、何の目的もなく、ただ難易度の高い曲が弾けるようにとレッスンに通っていました。
小学校に入ると何故か歌謡番組に魅せられて「スター誕生!」をよく見ていました。
何か電球のようなものが回転する舞台装置があり、合格か不合格かが決まるというもので、他人事なのに、妙に心臓がドキドキするほど興奮したことを覚えています。
小学校中頃になると「ザ・ベストテン」という歌謡番組を欠かさず見るようになっていました。誰が1位なのか? あのパラパラパラとめくれるボードに魅せられていました。子供ながらにボードの中に、ヒットして相当年月が経つ歌手の名前がパラパラ感を出す為の出汁に使われていることは見逃しませんでした。
その番組内で演歌からニューミュージックと呼ばれたものまで、多くの歌謡音楽を聴くことが出来ました。
今から考えると、そこには「心」に響く音楽があり、またその音楽を受けとれる「人間」がいた良き時代だったと思います。
テレビに登場しない歌手の為に、何度淋しいミラーの扉を見たことか....。
そんな中、小学校5年生の時に「これだ!」と思う音楽にめぐり逢いました。それは当時のテレビ番組で実写版「孫悟空」の主題歌に使われていた「ガンダー ラ」「モンキーマジック」という曲でした。500円で初めて自分の意思でシングルレコードを買いに、大阪の藤井寺にあるジャスコ内のレコード屋さんに行ったことは、今でも感動の出来事として鮮明に覚えています。
中学になると、洋楽、歌謡曲、ロック、テクノ、クラシック、ジャズまで、ジャンルを問わず、いろいろな曲を聴くようになり、作曲を習っていた訳ではなかったのですが、何気なく作曲するようになっていました。
ふざけた歌詞付きの曲をクラスメイトにアカペラで聴かせたところ爆笑を誘い、それに気を良くして作っていた気がします。(今も進歩していません。)そんな曲が、学校内のクラス対抗の合唱曲に選ばれてしまったことには参りました。担任に「唄ってみろ!」と怒鳴られ、散々恥をかいたことを覚えています。
それにも懲りず、作曲には益々興味を抱いてしまい、本当は歌謡曲を習いたかったのですが、流れで音楽大学の先生にアカデミックな和声、対位法、楽理、作曲法などを教わるようになってしまいました。以後大学卒業まで、その恩師である七ツ矢博資先生の厄介物になってしまいました。
高校に入って間もない頃、何かの用事で八尾にある西武百貨店に行ったおり、誰だか知らない人のコンサートの看板が目に入り、「当日券あり、1000円」ということだけに釣られ、100人も入らないような、百貨店内のちっぽけなホールで、運命的な「人」と「音」に出会ったのです。
ホール内は、買い物袋から出た夕食のお惣菜の匂が立ち籠めていました。買い物用ビニール袋がパリパリとこすれ合う、家庭的?な雰囲気の中で天才は現れました。トコトコと歩いて来られ、ペコリと軽く会釈され、ピアノの椅子に腰掛けられたと思うと、もう弾き始められておられました。なんの気負いもなく、ただ淡々と心地よい音を奏でられます。「こんな人見た事が無い!」「こんな音も聴いたことがない!」何の威圧感もなく、我々民衆(買い物帰りの主婦と私)を優しさで包まれます。多楽章形式の曲で、お約束通り皆が楽章ごとに拍手をされるも、にこりと笑顔されお辞儀で応えられます。私の音楽観念に対する絶対軸だけでなく、生き方の軸が決定された瞬間でした。
その方の名は「高橋悠治」さんです。私の恩師とも在学時代の先輩後輩にあたり、何とも不思議な御縁でした。以後、現代音楽を聴きに行くと、必ずといっていいほど、悠治さんがピアノを奏でられておられました。今なお作曲家兼ピアニストとして活動されておられますが、益々神がかった素晴らしい音と作品を奏でていらっしゃいます。
大学卒業後、何気なくゲーム会社に就職し、そこで作曲以外に、効果音、スピーカーの設計、朝の体操から人間関係に至るまで、さまざまな事を学ばせていただいたことは、大学時代に凝り固まった音楽観念をリセットして頂くよい機会になりました。また、たくさんの事を教えていただきました。
6、7年後に会社を円満に退職し、その後、佐藤雅彦さんと共にいろいろな作品を作ってまいりました。
先日、JCAAの忘年会が、都内のホテルでありましたので、無謀にも勇気を出して参加させて頂きました。そこには日本の歌謡界だけではなく、さまざまな音楽を築いてこられた先生の皆様が揃っておられまして、かなりビビリながらも、楽しく刺激的な一夜を過ごさせていただくことが出来ました。大変幸せでした。 ユーモアと優しさ、寛容さに秀でていらっしゃる先生ばかりでしたので、私も人としてこういう歳のとり方をしたいもだとつくづく思いました。
この場をお借り致しまして御礼申し上げます。
また、忘年会に潜入できるよう「何でもやりまっせ!」という気持ちで楽しく、何気なく頑張って参りたいと思います。
このような私ですが、皆様どうぞよろしく御願い致します。
音楽を通して、素晴らしい人達に出会えることを心から感謝しております。
長文、乱文大変失礼いたしました!
◎堀江由朗 (ほりえよしろう) Profile
生年月日:1967年5月22日生まれ。
出身地:大阪府
大阪芸術大学音楽学科作曲専攻卒業
NHK教育テレビ「だんご3兄弟」「あっという間劇場」他
第41回日本レコード大賞特別賞受賞
第14回日本ゴールドディスク大賞Song Of The Year受賞
1999年度オリコン年間シングルセールスチャート1位
2000年JASRAC賞銅賞受賞
※掲載は所属当時