NO.562010.8.6
JCAA会員2年生の石橋です。
この度「今月の作家」に選んで頂き、自己紹介と共になぜ私が作・編曲家の道を歩むことになったのか?という経緯、その自分史を振り返ってみる良い機会ではないかと思い立ち、一筆書かせて頂きます。
1、器楽奏者への憧れ。
小学5年生の頃より、音楽教室でフルートを習い始めました。動機は至って単純で、キラキラと輝く楽器の美しさに惹かれたのが始まりでした。「楽器」って見てるだけでもカッコイイじゃありませんか?歴史の流れと共に、形態や素材も様々に進化し続けているものの、クラシックで使われる楽器って、何故あんなに美しいフォルムをしているのでしょうね?形から入ったフルートへの魅力は、次第に音色と表現を磨いて行く事の努力へと方向が変わって行き、音大を受験したいと決めてからは毎日8時間の練習はくだらなかったと記憶しています。今思えば凄い体力があったものですね?
2、オーケストラへの参加。
楽器を習っていた先生の指導により、小・中・高校時代、いずれもブラスバンド部への入部を禁止されていました。ソリストとしてプロを目指すならば、吹奏楽団に入ってマーチばかり演奏する事は、音荒れの原因に繋がると言う考えだったのでしょう。(真偽のほどは未だに謎?)その代わりに、青少年向けのアマチュア・オーケストラに入団する事を許可してもらいました。だって、アンサンブルって楽しいじゃありませんか!少々音が荒れようが、様々な違う音色の楽器と交わって演奏に参加するのは色んな意味で有意義な体験になるだろうと、幼い頭で判断し、オーケストラへの入団を決意しました。
3、編曲家という存在を知る。
入団したオーケストラでは当然の如く、ドヴォルザークやチャイコフスキー、ブラームス等々、数えきれないほど様々なクラシック音楽を演奏し、勉強しました。そんな中、コンサート・プログラムの中には、ポップスなども毎回含まれていました。そのオケを運営&指揮する先生が、プロフェッショナルな作・編曲家でもあったのです。CMソングや歌謡曲、クリスマスソング・・・どんなジャンルの音楽も華麗にオーケストレーションして見せる凄腕の編曲家でした。私はそのアンサンブルの魅力に惹き付けられ、いつしか“アレンジャー”という響きに憧れ、興味を持ち始めて行きました。
4、作曲に証明書はない?
フルートを勉強するのとは別に、小さい頃から作曲をするのは大好きでした。その当時はピアノ曲、あるいはフルート&ピアノ伴奏の曲などを遊びで作っていたのですが、多くのクラシック作曲家や映画音楽家たちがそうであるように、作曲者=編曲者であるのは当然の事だと認識していました。和声法や対位法なんて全く知らなかったけれど、自分でメロディーを考える時は、同時に和音や内声の動きも自然と創りだしていたのです。中学生の頃、作曲のコンクールに参加したいと思い立ち、自作のフルート・ソナタのピアノ伴奏を、ピアノの先生にお願いしようと楽譜を持って行った所、「へ~、これ君が全部書き写したの?それは大変だったね。」と、私の自作曲である事を信じてもらえませんでした。それはガッカリしたものです。皆さんは自分の作品を確実に“作曲”だと証明する時、どの様にしていますか?著作権協会で申請されれば全てOK?少し違う様な気もします。その答えは未だに私の中で謎であり、永遠の課題でもあるのです。
前述のオーケストラの先生から学んだ事は、自分特有の“カラー”を強く持つと言うこと。しかし、それには膨大な時間と経験、それに伴なう信用が必要とされるでしょう。作曲家として、編曲家として生きて行くには、それだけの覚悟と努力が必要なのだと感じた一つの体験でした。
5、「好き」でなければ出来ない事。
演奏家のプロを目指す一方で、頭の片隅から離れない”作・編曲家”になりたいと言うもう一つの願望。そうした中で、フルートの先生のひと言が、大きなヒントを与えてくれました。「ただ好きなだけじゃ、演奏家のプロになんてなれないんだよ。」本当におっしゃる通りです。「好きなだけじゃダメ」・・・。その言葉が繰り返し頭の中を巡りました。そんな中で、ふとある疑問が。ん??待てよ??確かに「好きなだけじゃ」プロになんてなれない。けれど、そもそも本当に「好き」かどうかを、真剣に考えた事があっただろうか・・・?
私の頭を巡っていた言葉は、「ただ好きなだけじゃダメ」から、「まず好きじゃなきゃダメ」という根本的な考えに変化して行きました。そこからは自問自答です。本当に自分はクラシックのフルーティストとして生きていく道が「好き」なのか、どうか。
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◎石橋和巳(いしばしかずみ) Profile
東京都出身。幼少よりフルート&ピアノを学ぶ。日大芸術学部音楽学科作曲コース卒業。作曲を峰村澄子、峰村信一、指揮法を山岡重信、管弦楽法をジョン・マウチェリーの各氏に師事。卒業作品「管弦楽の為の感傷的な主題による叙情交響曲」で芸術学部長賞を受賞。読売新人演奏会出演。
在学中よりスタジオで映画やテレビドラマの音楽を学ぶ。卒業後は、歌曲や弦楽四重奏、金管アンサンブル、ハーモニカ・アンサンブルなど、数々のコンサートの為に作品を提供。
神奈川フィルハーモニー管弦楽団、札幌交響楽団、東京ニューフィルハーモニック管弦楽団等プロ・オケに作曲&アレンジ作品を提供する経緯を得て、現在は主に東京フィルハーモニー交響楽団でアレンジャーとして活動中。
「ニューイヤーコンサート」、「午後のコンサート」、「ハートフルコンサート」、「トーマス・コンサート」、「NTTドコモ・クリエイティブキッズコンサート」、「徳永英明 20th Anniversary Orchestra Concert Tour」、「上松美香&東京フィル・コラボレーション」、文化庁「本物の舞台芸術体験事業」等々、フルオーケストラによる多数の楽曲アレンジを手掛けている。
☆JCAAとの出会い
1998年&2000年、映画音楽家ジェリー・ゴールドスミス来日公演の際、スタッフ&演奏者として参加していた折、通訳を担当していた当会理事の外山和彦氏と知り合う。2003年、同公演(惜しくもゴールドスミス氏本人の来日は叶わなかったが)と、JCAAとの競演に際し、外山氏の紹介を受けて服部克久氏をはじめベテラン会員と対面、入会を勧められる。それから6年の時を得て2009年に当会入会へと至る。
☆好きなアレンジャー
クラウス・オガーマン、ジョニー・マンデル、ドン・セベスキー、デイヴ・グルーシン、ラロ・シフリン、ビル・コンティ等々
☆趣味
映画鑑賞、ドラマ鑑賞、オーディオ店巡り、OTTAVA 、オペラ&コンサート鑑賞
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石橋和巳
JCAA会員2年生の石橋です。
この度「今月の作家」に選んで頂き、自己紹介と共になぜ私が作・編曲家の道を歩むことになったのか?という経緯、その自分史を振り返ってみる良い機会ではないかと思い立ち、一筆書かせて頂きます。
1、器楽奏者への憧れ。
小学5年生の頃より、音楽教室でフルートを習い始めました。動機は至って単純で、キラキラと輝く楽器の美しさに惹かれたのが始まりでした。「楽器」って見てるだけでもカッコイイじゃありませんか?歴史の流れと共に、形態や素材も様々に進化し続けているものの、クラシックで使われる楽器って、何故あんなに美しいフォルムをしているのでしょうね?形から入ったフルートへの魅力は、次第に音色と表現を磨いて行く事の努力へと方向が変わって行き、音大を受験したいと決めてからは毎日8時間の練習はくだらなかったと記憶しています。今思えば凄い体力があったものですね?
2、オーケストラへの参加。
楽器を習っていた先生の指導により、小・中・高校時代、いずれもブラスバンド部への入部を禁止されていました。ソリストとしてプロを目指すならば、吹奏楽団に入ってマーチばかり演奏する事は、音荒れの原因に繋がると言う考えだったのでしょう。(真偽のほどは未だに謎?)その代わりに、青少年向けのアマチュア・オーケストラに入団する事を許可してもらいました。だって、アンサンブルって楽しいじゃありませんか!少々音が荒れようが、様々な違う音色の楽器と交わって演奏に参加するのは色んな意味で有意義な体験になるだろうと、幼い頭で判断し、オーケストラへの入団を決意しました。
3、編曲家という存在を知る。
入団したオーケストラでは当然の如く、ドヴォルザークやチャイコフスキー、ブラームス等々、数えきれないほど様々なクラシック音楽を演奏し、勉強しました。そんな中、コンサート・プログラムの中には、ポップスなども毎回含まれていました。そのオケを運営&指揮する先生が、プロフェッショナルな作・編曲家でもあったのです。CMソングや歌謡曲、クリスマスソング・・・どんなジャンルの音楽も華麗にオーケストレーションして見せる凄腕の編曲家でした。私はそのアンサンブルの魅力に惹き付けられ、いつしか“アレンジャー”という響きに憧れ、興味を持ち始めて行きました。
4、作曲に証明書はない?
フルートを勉強するのとは別に、小さい頃から作曲をするのは大好きでした。その当時はピアノ曲、あるいはフルート&ピアノ伴奏の曲などを遊びで作っていたのですが、多くのクラシック作曲家や映画音楽家たちがそうであるように、作曲者=編曲者であるのは当然の事だと認識していました。和声法や対位法なんて全く知らなかったけれど、自分でメロディーを考える時は、同時に和音や内声の動きも自然と創りだしていたのです。中学生の頃、作曲のコンクールに参加したいと思い立ち、自作のフルート・ソナタのピアノ伴奏を、ピアノの先生にお願いしようと楽譜を持って行った所、「へ~、これ君が全部書き写したの?それは大変だったね。」と、私の自作曲である事を信じてもらえませんでした。それはガッカリしたものです。皆さんは自分の作品を確実に“作曲”だと証明する時、どの様にしていますか?著作権協会で申請されれば全てOK?少し違う様な気もします。その答えは未だに私の中で謎であり、永遠の課題でもあるのです。
前述のオーケストラの先生から学んだ事は、自分特有の“カラー”を強く持つと言うこと。しかし、それには膨大な時間と経験、それに伴なう信用が必要とされるでしょう。作曲家として、編曲家として生きて行くには、それだけの覚悟と努力が必要なのだと感じた一つの体験でした。
5、「好き」でなければ出来ない事。
演奏家のプロを目指す一方で、頭の片隅から離れない”作・編曲家”になりたいと言うもう一つの願望。そうした中で、フルートの先生のひと言が、大きなヒントを与えてくれました。「ただ好きなだけじゃ、演奏家のプロになんてなれないんだよ。」本当におっしゃる通りです。「好きなだけじゃダメ」・・・。その言葉が繰り返し頭の中を巡りました。そんな中で、ふとある疑問が。ん??待てよ??確かに「好きなだけじゃ」プロになんてなれない。けれど、そもそも本当に「好き」かどうかを、真剣に考えた事があっただろうか・・・?
私の頭を巡っていた言葉は、「ただ好きなだけじゃダメ」から、「まず好きじゃなきゃダメ」という根本的な考えに変化して行きました。そこからは自問自答です。本当に自分はクラシックのフルーティストとして生きていく道が「好き」なのか、どうか。
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◎石橋和巳(いしばしかずみ) Profile
東京都出身。幼少よりフルート&ピアノを学ぶ。日大芸術学部音楽学科作曲コース卒業。作曲を峰村澄子、峰村信一、指揮法を山岡重信、管弦楽法をジョン・マウチェリーの各氏に師事。卒業作品「管弦楽の為の感傷的な主題による叙情交響曲」で芸術学部長賞を受賞。読売新人演奏会出演。
在学中よりスタジオで映画やテレビドラマの音楽を学ぶ。卒業後は、歌曲や弦楽四重奏、金管アンサンブル、ハーモニカ・アンサンブルなど、数々のコンサートの為に作品を提供。
神奈川フィルハーモニー管弦楽団、札幌交響楽団、東京ニューフィルハーモニック管弦楽団等プロ・オケに作曲&アレンジ作品を提供する経緯を得て、現在は主に東京フィルハーモニー交響楽団でアレンジャーとして活動中。
「ニューイヤーコンサート」、「午後のコンサート」、「ハートフルコンサート」、「トーマス・コンサート」、「NTTドコモ・クリエイティブキッズコンサート」、「徳永英明 20th Anniversary Orchestra Concert Tour」、「上松美香&東京フィル・コラボレーション」、文化庁「本物の舞台芸術体験事業」等々、フルオーケストラによる多数の楽曲アレンジを手掛けている。
☆JCAAとの出会い
1998年&2000年、映画音楽家ジェリー・ゴールドスミス来日公演の際、スタッフ&演奏者として参加していた折、通訳を担当していた当会理事の外山和彦氏と知り合う。2003年、同公演(惜しくもゴールドスミス氏本人の来日は叶わなかったが)と、JCAAとの競演に際し、外山氏の紹介を受けて服部克久氏をはじめベテラン会員と対面、入会を勧められる。それから6年の時を得て2009年に当会入会へと至る。
☆好きなアレンジャー
クラウス・オガーマン、ジョニー・マンデル、ドン・セベスキー、デイヴ・グルーシン、ラロ・シフリン、ビル・コンティ等々
☆趣味
映画鑑賞、ドラマ鑑賞、オーディオ店巡り、OTTAVA 、オペラ&コンサート鑑賞
※掲載は所属当時