NO.62
芥川マスミ
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2012年の初めに

 新しい年を迎えるにあたり、2011年3月11日からの出来事をいっそう強く考えています。

 その日は14:00からJCAAの理事会がJasracの6階で開かれていました。
かつて経験したことのない大きな横揺れが続くなか、隣の席に居られたK理事が、40秒・・・50秒・・・と秒読みに入り、70秒までは記憶に残っていますが、その後の恐怖にどこで途切れたのかは覚えていません。

 余震での中断をはさみながらも、理事会は予定の審議を終えて16時に閉会、帰宅途中で踏み切りが閉鎖されているのと、何故か道路いっぱいに人が歩いているのが不思議でした。

 家族全員の顔を確認し、テレビで「福島第一原発に異常なし」を聞いてホッとしてから、芥川也寸志の曲が演奏される日フィルの演奏会のためにサントリーホールに出かける間も、たいした異常も感じませんでしたが、帰途は完全に帰宅難民。赤坂から渋谷までの4時間、車中で得られる情報はラジオだけ。地震や津波の被害の程度もほとんど届かず、帰宅困難者のために学校や公民館の開放が伝えられたのも深夜12時近くになってから。

 4時間とは言え、車中で過ごせた身で「帰宅困難」を語るのはおこがましい限り。一夜明けて、刻々と伝えられる津波被害の状況に重ねての原発の惨状に、心が凍りついたまま、10ヶ月も過ごしてしまったような気がしています。

 ネットの力で、いろいろなことを知りました。

 日本ではSpeediというシステムを1千億円もかけて開発しているのに、何故、ドイツや台湾のH.P.を見なければならないの?

 20年以上も前から、東北での津波の規模を懸念する研究結果が発表され、政府も東電も「検討する」と云いながら、何故、何もなされていなかったの?

 核廃棄物の処理に10万年もかかるらしい、と判りながら、何故、世界中が原発を増やし続けるの?

 やがて厳しい冬が来ることが判っていながら、何故、隙間だらけの仮設住宅を作ったの?

 何故、新聞やテレビの発表を信じられなくなってしまったの?

 1982年に1000人を超す音楽家が集まって「反核・日本の音楽家たち」という活動が始まったとき、帰宅した主人が「原子力発電を含めると話がまとまらなくなってしまうので、とりあえずは反・核兵器」と苦しそうに喋ったことを思い出しました。

 山田一雄先生はじめ、秋山邦晴さん、松村禎三さん、石井真木さん、いずみたくさん、そして三木 稔さん・・・。

 当時の呼びかけ人メンバーの多くが鬼籍に入られた今、残された課題は重すぎますが、未曾有の震災で犠牲になられた方々、そして、今もなお未来を描くことが出来ないで苦しんでおられる方々のことを忘れることなく、「日本の子どもたちのためにどうにかしなければ」と考え続けています。

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◎芥川マスミ(あくたがわますみ) Profile
東京生まれ。東京芸術大学大学院・作曲修士課程終了。

東京芸術大学在学中より、TV・レコード・ステージ等で作曲とエレクトーンの演奏活動を始め、毎年のヨーロッパ各地の演奏旅行やリサイタル、オーケストラとの共演など、現代音楽からジャズまでの幅広い音楽活動を展開し、注目を集める。
その後、作曲家・芥川也寸志との結婚、育児での音楽活動休止期間があるが、映画音楽の共同製作など、作、編曲を中心に活動を再開。

主な作品は「オルガンコンチェルト」、合唱曲「山のまつり」(NHK合唱コンクール課題曲)童謡「ののさまいくつ」など。

毎日音楽コンクール管弦楽部門三位(1964年)、エレクトーンコンクール作曲(1964年)、演奏各部門(1965年)でそれぞれ一位受賞。
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