NO.64
神坂享輔
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こんにちは。神坂享輔と申します。よろしくお願いします。20歳までサッカー以外何もせずに過ごしたものの腰が故障、22歳で音楽を志し、たまたま周りに数人の天才作曲家がいたこともあり、人と縁に恵まれいつの間にかなんとか曲を書いて 家族を養うことが出来るようになりました。が、しばしば自分がクリエーターであるとか、時にはアーチストです、芸術です、と胸を張って言える面の皮の厚さが足りずにダークサイドに落ち、レッドブルの力を借りて自分を奮い立たせてから作曲に入るという日々を送っています。

仕事のクレジット・・・はまだしも電気やガスの請求書などでさえ「亨輔」と間違われる確率80%。
さらに、ひとに説明するときは「享年の享です」と言わなければわかってもらえない「享輔」という名前ですが、「輔(たすけ)を享(う)ける」という大変(自分にとって)ありがたい意味があります。自分の拙い曲を超一流のミュージシャンに演奏していただき、超一流エンジニアに苦労して作り上げていただいた作品を以ていっぱしな顔をしている現況を三十数年も前に予言?していた両親はたいしたものだ、と感心するばかりです。

そんな自分がこのコーナーで偉大なる大先輩たちに混じってなにを書くべきか大変悩ましいと考えていた矢先、とある方のエッセイを読んで驚きました。キャリアも素養もおそらく比べものにならないような大先輩の書いた文章が一言一句違わず自分の心の内と同じで、さらには見る夢(悪夢?)の内容まで完全に一緒でした。だからなんだという訳でもないのでしょうが、ものすごく安心し勇気づけられ、さらには、あきらめもつきました。

と言うわけで、いつか万が一出てくるかも知れない、かつての自分以上に心細い思いを抱えたルーキーに向けて、昔やらかしてしまった全くもって笑えないとんでもない大失敗を二つあえてここに書いておこうと思います。

その1 生まれて初めての劇伴レコーディングにて、緊張のあまりミュージシャンの演奏前に聞いていただいた自分の打ち込みトラックに「OKです!バッチリです有り難うございます!!」と言ってしまった事。業界内誰もが知っている大天才ミュージシャンにこんな失礼すぎることをしでかして、もう自分の音楽人生終わった・・・と覚悟しました。が、なんとなんと寛大なことに、いまでもレコーディングに来ていただけています。

その2 B管の移調譜を何を勘違いしたのかD管で書いたあげく、テンパリ過ぎて音が出た瞬間なにがなんだかわからなかった事。脳もフリーズするんだ、と言うことを知りました。(以後頻発)

まだまだ失敗談は枚挙に暇がないくらいあるのですが、書いている自分もきついのでこの辺で。あとは自分がこの先頑張って、なおかつ助けを頂いてなんとか音楽を続けられれば、「それでも何とかやっていけてるよ」、という体でこのエッセイは完成するでしょう。

最後にふたつ。
宮古の海に帰りたい。
願 浦和レッズ復活

さらに願願 ブラジルW杯日本代表ベスト4
さらに50歳まではJFA登録現役サッカー選手
あと家族の健康、友人の健康


◎神坂享輔(かみさかきょうすけ) Profile
1974年12月10日生まれ 1993年立教大学理学部物理学科入学
1998年 東京音楽大学音楽学部音楽学科作曲指揮専攻入学
2002年 同校卒業 TVドラマ劇伴等を中心に様々なジャンルで活動中。


※掲載は所属当時

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