NO.762014.7.11
40年あまり、流行歌の編曲をやってきました
「今月の作家」に選んでいただき、嬉しく思います
昭和24年10月16日 東京都台東区入谷生まれ
家の3軒となりが教会だったので、讃美歌をきいて育ちました
幼いころから、歌は大好きでした
家業は宝飾屋(かざりや)で
家にある楽器はハモニカぐらいでした
男3人兄弟の末っ子
小学校3年のとき、親戚のお兄ちゃんが家に来て
なにやら珍しい楽器を出し、ポロンと弾いてくれました
楽器の名前も知りませんでしたが
ウクレレでした
あまりにも私が興味をしめしたのでしょう
「これ、あげるよ」と言われ、びっくり仰天しました
この事件で
私は音楽の道に惹かれていくことになります
5年生ごろ、ギターが欲しくてたまらなくなり
お年玉で、近くのレコード屋のウインドウにあったのを買いました
夢中で練習
明治中学に入学、初めてマンドリンを手にしました
クラブの演奏会の編曲をするうち
作編曲家として身を立てようと決心
17才の時です
いま思えば無謀でしたが
なにかの本で自己実現という言葉を知り
自分はこの道で生きる、と思いつづけました
明治大学マンドリン倶楽部に入り
古賀政男先生に出会いました
雲の上の人でしたが、きさくな人柄
音楽の楽しさと、きびしさを教えてもらいました
和洋合奏のアルバムの編曲でした
尺八の楽譜に無理なことを書き
奏者が演奏できず、時間切れ
いわゆる「お笑い」になり
目の前がまっくらになりました
さんざんなデビューでしたが
その後、たくさんの出会いに恵まれ
今日にいたっています
流行歌というのは
単純ながら
歌詞やメロディに、奥深いものがあります
オケはいつも
シンプルで、華やかさがあり
歌いやすく、明快なもの
と心がけていますが
スタジオでは、いまだに悪戦苦闘しています
もっと才能ゆたかに生まれてたらなァ
と思う、このごろです
◎前田俊明(まえだとしあき) Profile
藤あや子「こころ酒」第34回日本レコード大賞・編曲賞受賞
川中美幸「二輪草」第40回日本レコード大賞・編曲賞受賞
2005年、2009年 オリコン・トータルセールス 編曲家部門 1位
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前田俊明
40年あまり、流行歌の編曲をやってきました
「今月の作家」に選んでいただき、嬉しく思います
昭和24年10月16日 東京都台東区入谷生まれ
家の3軒となりが教会だったので、讃美歌をきいて育ちました
幼いころから、歌は大好きでした
家業は宝飾屋(かざりや)で
家にある楽器はハモニカぐらいでした
男3人兄弟の末っ子
小学校3年のとき、親戚のお兄ちゃんが家に来て
なにやら珍しい楽器を出し、ポロンと弾いてくれました
楽器の名前も知りませんでしたが
ウクレレでした
あまりにも私が興味をしめしたのでしょう
「これ、あげるよ」と言われ、びっくり仰天しました
この事件で
私は音楽の道に惹かれていくことになります
5年生ごろ、ギターが欲しくてたまらなくなり
お年玉で、近くのレコード屋のウインドウにあったのを買いました
夢中で練習
明治中学に入学、初めてマンドリンを手にしました
クラブの演奏会の編曲をするうち
作編曲家として身を立てようと決心
17才の時です
いま思えば無謀でしたが
なにかの本で自己実現という言葉を知り
自分はこの道で生きる、と思いつづけました
明治大学マンドリン倶楽部に入り
古賀政男先生に出会いました
雲の上の人でしたが、きさくな人柄
音楽の楽しさと、きびしさを教えてもらいました
初めてのレコーディングの仕事は23才
和洋合奏のアルバムの編曲でした
尺八の楽譜に無理なことを書き
奏者が演奏できず、時間切れ
いわゆる「お笑い」になり
目の前がまっくらになりました
さんざんなデビューでしたが
その後、たくさんの出会いに恵まれ
今日にいたっています
流行歌というのは
単純ながら
歌詞やメロディに、奥深いものがあります
オケはいつも
シンプルで、華やかさがあり
歌いやすく、明快なもの
と心がけていますが
スタジオでは、いまだに悪戦苦闘しています
もっと才能ゆたかに生まれてたらなァ
と思う、このごろです
◎前田俊明(まえだとしあき) Profile
藤あや子「こころ酒」第34回日本レコード大賞・編曲賞受賞
川中美幸「二輪草」第40回日本レコード大賞・編曲賞受賞
2005年、2009年 オリコン・トータルセールス 編曲家部門 1位