NO.862016.3.16
1990年から2008年まで18年間、英国ロンドンを活動の拠点としました。
突然思い立ったものの誰に請われたわけでもない、三十歳代後半で海を越えての移住と言うアイデアは多くの人に無謀だと言われました。が、ただただ音楽家の直感を頼りに足を踏み出したという他ありません。
振り返ってみるとそれは大きなエネルギーを必要としましたが、かけがえのない、貴重で濃密な時間を過ごせたと思っています。
彼の国で暮らして何が良かったかと言うと、生活のいたるところに音楽が溢れていることですね。石を投げればミュージシャンに当たると言われる程、音楽と音楽家が日常的にごく自然にそばにあります。
地下鉄の駅の構内で普通に行われるバスキングから、BBCが毎年主催する世界最大のクラシックの音楽祭と言われるプロムスまで、音楽の送り手と受け手側が一緒に楽しめる場が、それもそんなにお金をかけなくても演奏したり聴けたりする場がとても多いですね。
ひっくるめて“音楽愛好家”の数が圧倒的なのだと思います。
BARCLAYS銀行の窓口で、ナイジェルケネディの若い頃みたいな青年がお金の勘定をしています。ピアスもタトゥもありです。銀行で働いているけど本当はバンドをやっているんだとか、水道工事で我が家にやって来た配管工が実はニューヨークのバリバリのギャラリーでエキシビションをしているとか。。。好きで突き詰めたいことがあれば、暮らしのためのお金は別で何とかすれば好いと。
彼らはそれで何ら恥じること無くアーティストとしての人生をまっとうしています。また、社会もそれを受け入れる素地がある。
大きな憧れを抱いて渡ったイギリスですが失望させられることも沢山でした。
が、国民の文化に対する思いの深さとそれに呼応する国の理解とでも言いますか、この点だけは脱帽ですね。
本当に素晴らしい。
日本に帰って来て、初対面の人に自分を音楽家だと自己紹介してまず問われるのは、プロの方ですか? です。どんな楽器を弾くか、どんな音楽を創るのかではなくて。。。
ここでは必要以上にプロフェッショナルとアマチュアの線引きをはっきりさせようとしているように感じられます。どちらの側からもその敷居を高くしてしまっている。その尺度が音楽で『食べて行けているか』どうかにかかってしまっている。
なんだかちょっと窮屈ですね。
私の中でプロフェッショナルの定義は“音楽を愛する気持ちが人一倍強い”です。
良い楽器は指一本で叩いていて楽しい、開放弦だけを爪弾いても恍惚として来ます。楽器と共鳴した自分の“カラダ”が空気を振動させて聴く人に伝わる。なんと素敵なことか。
そんな音楽に関われることの素晴らしさ、この上ない幸せを身を以て熱く語れる人を音楽のプロと呼ぶべきではないかと思っています。
その関わっている産業、業界が振るわなくなったからと言って、音楽家が暗い顔をしていてはいけません。
胸を張ってその本来の喜びを伝えて行きましょう。
プロ*アマ問わず、もっともっとたくさんの音楽愛好家で溢れるような,そんな国になれば好いなと思います。
“石を投げれば音楽家に当たる”日本ってそんな国ですねと言われるように。
◎亀井登志夫(かめいとしお) Profile
奈良県生まれ。
最初に口ずさんだのは春日八郎の“お富さん”だと言われている。4歳で鈴木メソッドのバイオリン開始。以後十代でヴェンチャーズ、ビートルズ、ブリティッシュロックの洗礼を受ける。
1980年、“NASA”のメインボーカリスト、バイオリニストとしてCBS SONYよりアルバムを発表したのち、本格的な作曲家活動に入る。
山下久美子、松田聖子、渡辺美里、高橋真梨子、南野陽子、斉藤由貴、和久井映見などに楽曲を提供するとともに、数多くのCM音楽も作曲。
1988年、ソロアルバム「BODY」をCBS SONYよりリリース。
1990年、イギリスのロンドンに移住。
1991年、大学時代からの盟友、作詞家康珍花とのユニット”CANCAMAY”で、アルバム「ぼくがやさしい気持ちなら」をポリドールよりリリース。
ロンドンにスタジオを構え、妻、亀井知永子とのユニット“YONGEN”としてイギリス、ヨーロッパのCM音楽を手がける一方、アメリカのテレビドラマにも楽曲提供。
2000年、プライエイドレコーズよりアルバム「MOONRISE」をリリース。
2001年、イギリス、アメリカでアルバム「YELLO HAUS」をリリース。
2009年、日本に帰国。
以後、アルバム「GIVE ME YOUR SUN」「GREEN CORONA」をリリースする一方、「唄詩絵」うたうたかいと呼ばれるライブ活動も続けている。
相川七瀬「今事記」、斉藤由貴「何もかも変わるとしても」、ピアニスト朝岡さやか「MORNING STAR」「夕桜」、ヒナタカコ 「AQUADREAM」弦ユニット清水西谷「KODO」など、他アーティストのアルバムもプロデュース。
また、ヴォーカリストとしての集大成アルバム、GOLDEN BEST「SONGRIVER」がSONY MUSIC よりリリースされている。
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亀井登志夫
“石を投げれば音楽家に当たる国”
1990年から2008年まで18年間、英国ロンドンを活動の拠点としました。
突然思い立ったものの誰に請われたわけでもない、三十歳代後半で海を越えての移住と言うアイデアは多くの人に無謀だと言われました。が、ただただ音楽家の直感を頼りに足を踏み出したという他ありません。
振り返ってみるとそれは大きなエネルギーを必要としましたが、かけがえのない、貴重で濃密な時間を過ごせたと思っています。
彼の国で暮らして何が良かったかと言うと、生活のいたるところに音楽が溢れていることですね。石を投げればミュージシャンに当たると言われる程、音楽と音楽家が日常的にごく自然にそばにあります。
地下鉄の駅の構内で普通に行われるバスキングから、BBCが毎年主催する世界最大のクラシックの音楽祭と言われるプロムスまで、音楽の送り手と受け手側が一緒に楽しめる場が、それもそんなにお金をかけなくても演奏したり聴けたりする場がとても多いですね。
ひっくるめて“音楽愛好家”の数が圧倒的なのだと思います。
BARCLAYS銀行の窓口で、ナイジェルケネディの若い頃みたいな青年がお金の勘定をしています。ピアスもタトゥもありです。銀行で働いているけど本当はバンドをやっているんだとか、水道工事で我が家にやって来た配管工が実はニューヨークのバリバリのギャラリーでエキシビションをしているとか。。。好きで突き詰めたいことがあれば、暮らしのためのお金は別で何とかすれば好いと。
彼らはそれで何ら恥じること無くアーティストとしての人生をまっとうしています。また、社会もそれを受け入れる素地がある。
大きな憧れを抱いて渡ったイギリスですが失望させられることも沢山でした。
が、国民の文化に対する思いの深さとそれに呼応する国の理解とでも言いますか、この点だけは脱帽ですね。
本当に素晴らしい。
日本に帰って来て、初対面の人に自分を音楽家だと自己紹介してまず問われるのは、プロの方ですか? です。どんな楽器を弾くか、どんな音楽を創るのかではなくて。。。
ここでは必要以上にプロフェッショナルとアマチュアの線引きをはっきりさせようとしているように感じられます。どちらの側からもその敷居を高くしてしまっている。その尺度が音楽で『食べて行けているか』どうかにかかってしまっている。
なんだかちょっと窮屈ですね。
私の中でプロフェッショナルの定義は“音楽を愛する気持ちが人一倍強い”です。
良い楽器は指一本で叩いていて楽しい、開放弦だけを爪弾いても恍惚として来ます。楽器と共鳴した自分の“カラダ”が空気を振動させて聴く人に伝わる。なんと素敵なことか。
そんな音楽に関われることの素晴らしさ、この上ない幸せを身を以て熱く語れる人を音楽のプロと呼ぶべきではないかと思っています。
その関わっている産業、業界が振るわなくなったからと言って、音楽家が暗い顔をしていてはいけません。
胸を張ってその本来の喜びを伝えて行きましょう。
プロ*アマ問わず、もっともっとたくさんの音楽愛好家で溢れるような,そんな国になれば好いなと思います。
“石を投げれば音楽家に当たる”日本ってそんな国ですねと言われるように。
◎亀井登志夫(かめいとしお) Profile
奈良県生まれ。
最初に口ずさんだのは春日八郎の“お富さん”だと言われている。4歳で鈴木メソッドのバイオリン開始。以後十代でヴェンチャーズ、ビートルズ、ブリティッシュロックの洗礼を受ける。
1980年、“NASA”のメインボーカリスト、バイオリニストとしてCBS SONYよりアルバムを発表したのち、本格的な作曲家活動に入る。
山下久美子、松田聖子、渡辺美里、高橋真梨子、南野陽子、斉藤由貴、和久井映見などに楽曲を提供するとともに、数多くのCM音楽も作曲。
1988年、ソロアルバム「BODY」をCBS SONYよりリリース。
1990年、イギリスのロンドンに移住。
1991年、大学時代からの盟友、作詞家康珍花とのユニット”CANCAMAY”で、アルバム「ぼくがやさしい気持ちなら」をポリドールよりリリース。
ロンドンにスタジオを構え、妻、亀井知永子とのユニット“YONGEN”としてイギリス、ヨーロッパのCM音楽を手がける一方、アメリカのテレビドラマにも楽曲提供。
2000年、プライエイドレコーズよりアルバム「MOONRISE」をリリース。
2001年、イギリス、アメリカでアルバム「YELLO HAUS」をリリース。
2009年、日本に帰国。
以後、アルバム「GIVE ME YOUR SUN」「GREEN CORONA」をリリースする一方、「唄詩絵」うたうたかいと呼ばれるライブ活動も続けている。
相川七瀬「今事記」、斉藤由貴「何もかも変わるとしても」、ピアニスト朝岡さやか「MORNING STAR」「夕桜」、ヒナタカコ 「AQUADREAM」弦ユニット清水西谷「KODO」など、他アーティストのアルバムもプロデュース。
また、ヴォーカリストとしての集大成アルバム、GOLDEN BEST「SONGRIVER」がSONY MUSIC よりリリースされている。