NO.103-12019.3.22
今年の2月3日で64歳になった。半世紀以上生きて過去を振り返ると、ほんのちょっとした事柄が自分の人生、運命を大きく変えた事に気付かされる。
私は作曲家の父のもとに生まれ、音楽的環境には恵まれながら育ったと言えるが、高校を卒業するまでは作曲家ではなく、ひたすらプロのドラマーになる事が夢であった。
故郷の名古屋において小学6年生からドラムの練習をスタートし、「プロになりたければ上京せよ。」との父の勧めで青学の高等部に入学し、当時、渋谷にあったヤマハのドラム教室で習い出した。高一で最上級のクラスに入り大人たちの中で少々目立った為、渋谷の店長から可愛がられた。高等部を卒業してそのまま青学の大学に進学した年の4月にその店長から「赤い鳥というグループのドラマーが抜けてドラマーを探しているがオーディションを受けてみないか?」と誘われた。私は、一刻も早くプロの音楽家になりたかったので、「受けます!」と即答し、オーディションの結果は合格。赤い鳥のメンバーとなった。念願のプロのドラマーになるという夢は実現したのだが、ちょうどその頃から作曲・編曲への興味が深まり、作・編曲家にシフトしたいという思いが膨らんで行った。赤い鳥のツアー中の空き時間にホールのピアノを弾いて練習したり、様々な楽曲のコピーをして分析したりしてその思いを実現する事をひたすら目指した。私が赤い鳥に入って1年半後に赤い鳥は解散したが、私は、バンドを結成して当時の所属事務所のアーティストのサポートミュージシャンとしてキーボードと編曲を担当した。そのアーティストたちの中にグレープがいた。彼らの解散コンサートの巡業中にさだまさし氏からあらたまって話があると言われた。グレープ解散後、「半年ほどして新たなバンドを結成したいが一緒にやってくれないか?」という内容。グレープは、私が赤い鳥のメンバーになった同じ年の10月に私と同じ所属事務所からデビューしたわけで、その当時からずっと彼らと接して見て来てさだまさし氏の突出した才能を感じ、特に作詞における能力の高さに尊敬の念を抱いていた。だからその申し出についてはとても嬉しく思ったものだが、私は即座に「いや、バンドはダメだ。あなたはソロでやった方が良い。ソロでやるという事なら僕はプロデューサーという立場で編曲も含め全力でサポートしたい。」というような内容を伝えた。私は、そのとき直感的に彼はソロでやるべきだと思ったのだ。彼は、バンドでやりたがり中々それを承諾しなかったが、結局私のアドバイスを受け入れ、ソロとして活動を再開した。それからの私は、ツアーでは音楽監督・キーボードを担当、レコード制作ではプロデューサー役を担当し彼との二人三脚が始まった。ソロデビューとしての一枚目のアルバム「帰去来」が40万枚ほどのセールスを上げ、当時、さだまさし氏が24歳、私が21歳という若い二人にとって幸先の良いスタートだった。翌年の二枚目のアルバム「風見鶏」を制作するにあたっては、ストリングスアレンジをグラミー賞アレンジャーのジミー・ハスケル氏にお願いしたいという二人の希望が実現し、ロサンゼルスでのレコーディングとなった。同アルバムは、70万枚のセールスを上げさらなる大成功となった。その上り調子の流れの中で翌年もロスでのレコーディンが実現するのだが、そこで私にとって大きな出来事が起きた。
以降、次回に続く。
〇第二回
〇第三回
◎渡辺俊幸(わたなべとしゆき) Profile
愛知県名古屋市生まれ。
作曲家・編曲家・指揮者。
青山学院大学入学と同時にフォークグループ「赤い鳥」のドラム・キーボード担当として音楽活動を開始。その後、さだまさしの専属プロデューサー・編曲家としての活動を経て米国バークリー音楽大学に留学。ハーブ・ポメロイ氏、マイケル・ギブス氏に師事。ボストン音楽院で指揮法を学ぶ。帰国後は、様々なTVドラマや映画、アニメ等の音楽を手がけながら、さだまさし、平原綾香他のアーティストのプロデュース・編曲を担当するなど、純音楽も含め様々な分野で活躍中。
作曲家としての代表作にNHK大河ドラマ「利家とまつ」、「毛利元就」、NH Kドラマ「大地の子」、NHK 連続テレビ小説「おひさま」、「どんど晴れ」、 映画「平成モスラシリーズ」、「サトラレ」、「解夏」、「UDON」、「劇場版マジンガーZ」、テレビアニメ「宇宙兄弟」、「銀河機攻隊マジェスティックプリンス」、「新幹線変形ロボ シンカリオン」、愛・地球博開会式テーマ曲「愛・未来」、防衛庁・自衛隊50周年記念委嘱曲「祝典序曲 輝ける勇者たち」他がある。
TVドラマ「リング~最終章~」で第20回ザ・テレビジョン・ドラマアカデミー賞、劇中音楽賞を受賞。平原綾香「おひさま~大切なあなたへ」で第53回日本レコード大賞編曲賞を受賞。
近年、指揮者としてポップスオーケストラのコンサート活動にも力を注いでいる。
洗足学園音楽大学教授。
渡辺俊幸オフィシャルサイト http://www.toshiyuki-watanabe.com
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渡辺俊幸
今年の2月3日で64歳になった。半世紀以上生きて過去を振り返ると、ほんのちょっとした事柄が自分の人生、運命を大きく変えた事に気付かされる。
私は作曲家の父のもとに生まれ、音楽的環境には恵まれながら育ったと言えるが、高校を卒業するまでは作曲家ではなく、ひたすらプロのドラマーになる事が夢であった。
故郷の名古屋において小学6年生からドラムの練習をスタートし、「プロになりたければ上京せよ。」との父の勧めで青学の高等部に入学し、当時、渋谷にあったヤマハのドラム教室で習い出した。高一で最上級のクラスに入り大人たちの中で少々目立った為、渋谷の店長から可愛がられた。高等部を卒業してそのまま青学の大学に進学した年の4月にその店長から「赤い鳥というグループのドラマーが抜けてドラマーを探しているがオーディションを受けてみないか?」と誘われた。私は、一刻も早くプロの音楽家になりたかったので、「受けます!」と即答し、オーディションの結果は合格。赤い鳥のメンバーとなった。念願のプロのドラマーになるという夢は実現したのだが、ちょうどその頃から作曲・編曲への興味が深まり、作・編曲家にシフトしたいという思いが膨らんで行った。赤い鳥のツアー中の空き時間にホールのピアノを弾いて練習したり、様々な楽曲のコピーをして分析したりしてその思いを実現する事をひたすら目指した。私が赤い鳥に入って1年半後に赤い鳥は解散したが、私は、バンドを結成して当時の所属事務所のアーティストのサポートミュージシャンとしてキーボードと編曲を担当した。そのアーティストたちの中にグレープがいた。彼らの解散コンサートの巡業中にさだまさし氏からあらたまって話があると言われた。グレープ解散後、「半年ほどして新たなバンドを結成したいが一緒にやってくれないか?」という内容。グレープは、私が赤い鳥のメンバーになった同じ年の10月に私と同じ所属事務所からデビューしたわけで、その当時からずっと彼らと接して見て来てさだまさし氏の突出した才能を感じ、特に作詞における能力の高さに尊敬の念を抱いていた。だからその申し出についてはとても嬉しく思ったものだが、私は即座に「いや、バンドはダメだ。あなたはソロでやった方が良い。ソロでやるという事なら僕はプロデューサーという立場で編曲も含め全力でサポートしたい。」というような内容を伝えた。私は、そのとき直感的に彼はソロでやるべきだと思ったのだ。彼は、バンドでやりたがり中々それを承諾しなかったが、結局私のアドバイスを受け入れ、ソロとして活動を再開した。それからの私は、ツアーでは音楽監督・キーボードを担当、レコード制作ではプロデューサー役を担当し彼との二人三脚が始まった。ソロデビューとしての一枚目のアルバム「帰去来」が40万枚ほどのセールスを上げ、当時、さだまさし氏が24歳、私が21歳という若い二人にとって幸先の良いスタートだった。翌年の二枚目のアルバム「風見鶏」を制作するにあたっては、ストリングスアレンジをグラミー賞アレンジャーのジミー・ハスケル氏にお願いしたいという二人の希望が実現し、ロサンゼルスでのレコーディングとなった。同アルバムは、70万枚のセールスを上げさらなる大成功となった。その上り調子の流れの中で翌年もロスでのレコーディンが実現するのだが、そこで私にとって大きな出来事が起きた。
以降、次回に続く。
〇第二回
〇第三回
◎渡辺俊幸(わたなべとしゆき) Profile
愛知県名古屋市生まれ。
作曲家・編曲家・指揮者。
青山学院大学入学と同時にフォークグループ「赤い鳥」のドラム・キーボード担当として音楽活動を開始。その後、さだまさしの専属プロデューサー・編曲家としての活動を経て米国バークリー音楽大学に留学。ハーブ・ポメロイ氏、マイケル・ギブス氏に師事。ボストン音楽院で指揮法を学ぶ。帰国後は、様々なTVドラマや映画、アニメ等の音楽を手がけながら、さだまさし、平原綾香他のアーティストのプロデュース・編曲を担当するなど、純音楽も含め様々な分野で活躍中。
作曲家としての代表作にNHK大河ドラマ「利家とまつ」、「毛利元就」、NH Kドラマ「大地の子」、NHK 連続テレビ小説「おひさま」、「どんど晴れ」、 映画「平成モスラシリーズ」、「サトラレ」、「解夏」、「UDON」、「劇場版マジンガーZ」、テレビアニメ「宇宙兄弟」、「銀河機攻隊マジェスティックプリンス」、「新幹線変形ロボ シンカリオン」、愛・地球博開会式テーマ曲「愛・未来」、防衛庁・自衛隊50周年記念委嘱曲「祝典序曲 輝ける勇者たち」他がある。
TVドラマ「リング~最終章~」で第20回ザ・テレビジョン・ドラマアカデミー賞、劇中音楽賞を受賞。平原綾香「おひさま~大切なあなたへ」で第53回日本レコード大賞編曲賞を受賞。
近年、指揮者としてポップスオーケストラのコンサート活動にも力を注いでいる。
洗足学園音楽大学教授。
渡辺俊幸オフィシャルサイト http://www.toshiyuki-watanabe.com