NO.112 2021.2.10

平原誠之

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1995年1月17日午前5時46分。
沢山の大切なものを一瞬にして失った日…
阪神・淡路大震災の発生でした。

自分の音楽人生において、その日から、震災は切っても切れない重要な出来事となりました。

当時14歳。震災の影響で、両親の営む会社は経営不振となり、結果的に家を失い、自発的に8歳から続けてきたピアノを続けることも出来なくなり、高校は中退しました。

そんな時、人との出逢いによって音楽の道が開かれることになりました。
全く才能が無いと思っていた自分に、将来の可能性を感じて手を差し伸べてくれる方の存在があり、音楽を続けていく機会を頂きました。

その後、思い切って、神戸から東京に4年間移住し、暫くはピアノが無い中、様々な下積みを経験しながら音楽を続けました。沢山の方々に支えられながら、なんとか、音楽1本で生計を立てていけるまでになりましたが、何も学歴が無い自分にとって、“自称ピアニスト・自称作曲家”をぶち破りたいという気持ちが強くなりました。

そんな時、歌手 本田美奈子.さんの育ての親でもある高杉敬二社長に可愛がって頂いていたこともあり、相談しましたところ、服部克久先生の推薦で、日本作編曲家協会に入会することに至りました。

あの時、あのタイミングで震災が無かったら、自分は音楽家にはまず成れていなく、ピアノも辞めていたことと思います。人との出逢いによって、今の自分があることをもっと大切にして、これからも一人でも多くの方の心に寄り添う音楽を創り続けていきたいという思いです。

全ては、震災の出来事が、自分を強くさせてくれたように感じています。
震災が運んできてくれた音楽の道。
震災で培った教訓・大切なことを胸に、これからも誠心誠意、音楽活動に邁進してまいります。


◎平原誠之(ひらはら まさゆき) Profile
作曲家/ピアニスト/日本・エルサルバドル音楽親善大使
中宮寺、伊勢神宮、石清水八幡宮、高野山福山別院、創建以来初のピアノ演奏者
2010年、英国エディンバラにて行われたショパン生誕200周年記念ソロ・コンサートに日本代表として招聘される。翌年にも再招聘を受け、英国各地で演奏を行う。カリフォルニア州、アーバイン・ヤマハ・マスターコース作曲クラスにおいて特別教授として招聘を受け特別授業を行う。西多摩霊園TVCMの作曲を手掛ける。2015年、「日本・エルサルバドル外交関係樹立80周年コンサート」において、日本代表として招聘を受け、エルサルバドル公演を行う。また、エルサルバドル国営放送で平原誠之の1時間番組が組まれ、全国放映される。歌手本田美奈子. 没後10年を記念して、闘病中に書かれた未発表の詩に作曲を手掛け、「ありがとう」のタイトルで、知念里奈によって初演を行う。また、本田美奈子. が病室で残したボイスレコーダーにピアノ演奏を乗せたCD「AGAIN」の演奏・編曲を手掛け、日本コロムビアより発売。「鉄道員」「壬生義士伝」などで知られる、浅田次郎原作の最新映画「輪違屋糸里」(2018年〜2019年全国公開)の全音楽の作曲、音楽監督を手掛ける。映画「Tokyo Loss」では、オープニング音楽を手掛ける。2021年公開予定の映画「ぬくもりの内側」(主題歌 森山良子)の音楽を手掛ける。現在、国内外でコンサート、作曲活動を行っている。

http://masayuki-hirahara.com


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