No.128
井川雅幸
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70代半ばのミュージシャンです。この業界に入ったのはピアノ弾きからのスタートでした。

若い頃の経緯から書き始めます。父親がミュージシャンだったので4才からピアノと音感を習い始めその後作曲家の先生に初歩の和声と対位法を習いました。大学は芸大のピアノ科を受験しましたが見事に落ち、ピアノ科の枠20数人にも入れないようではクラシックピアニストとしてはとても無理だと思い、この道は諦めました。しばらくしてキャバレーのピアノ弾きに誘われ、行って見るとギャラはもらえるしキレイなお姉さんもいるわで、そのままこの業界に居ついてしまいました。

当時はミュージシャンの序列がなんとなくあり底辺はキャバレーから始まり高級クラブでのバンド演奏、テレビの歌番組の仕事、そして一番稼げるのが単価の高いスタジオミュージシャンの仕事でした。お金になる方に流れついた結果、スタジオミュージシャンになっていました。そして、歌番組の仕事あたりから編曲を始め、20代前半の頃より布施明さんのピアノ伴奏、編曲(アレンジ)、メンバー集めなどを任せていただき現在に至っています。

一応プロになってからのエピソードです。ピアノ演奏の比重が多かったせいか大御所の先生のアレンジに接する機会に恵まれ、それが今では大きな財産になっています。ナベプロの全盛期に音楽部門を支えたブラスアレンジが素晴らしい宮川泰先生、パリ音楽院に留学されストリングアレンジが素晴らしい服部克久先生(東京音楽祭の音楽監督では4〜5カ国語を操り素晴らしかった)、全ての分野において絶対的な信頼を得ていた伝説的なアレンジャー前田憲男先生、クラシックからニューミュージックまで幅広くのジャンルを得意とし、ヤマハ世界音楽祭の総監督も務めていらした小野崎孝輔先生。特に小野崎先生にはいろんな意味で可愛がっていただきました。とにかくカッコ良く、怖く、その上恐ろしく耳の良い先生でした。間違うと怒鳴られるのでちょっと違和感があっても書いてある通り弾くと「おいピアノ、そんなこと書いてないだろう!?」と怒鳴り声が飛んできます。原因は写譜ミスなのですが、「そんなもん直して弾け」と怒られ、また真っ黒な譜面でも一切コードネームがないので書いてくださるようにお願いしましたが、一度も書いてはいただけませんでした。そんなこんなで苦労しましたがおかげ様で演奏、編曲共、とても勉強になりました。そして編曲家としては、身につけていた絶対音感に頼りアレンジを始めましたが、学生時代に習っていた初歩の和声、対位法もとても役に立ちました。

ところで話は変わりますが、先日ある歌手のサポートミュージシャン集めを頼まれましたが歌手側からできたらコーラスもできる若い女性のキーボードとパーカッション奏者を探してくださいと注文がありました。老ミュージシャンには大変でしたがなんとか探し出す事が出来ました。お二人共優秀な成績で音大を卒業しており、しかもコンクールの上位入賞歴の持ち主でした。この方々に昨今の音大事情を聞くと最近生徒たちのレベルが下がってきており、その対策として各科の定員枠を減らたりしているのですが、それでも定員割れが起きてきているとのことでした。私立音大の入学金と授業料は医学部並みに高い割には卒業してからの就職はひどいもんだそうです。考えるにこの不景気な折、高い学費を払って卒業してもろくな就職口もないのでは音大に進む人が少なくなっているようです。今はパソコンなどでAIやファイルを駆使して制作するのが主流のようですが、このままではオーケストレーションや音楽理論を学んだスコアを書ける編曲家や基礎を学んだ譜面が読めるミュージシャンが激減してしまいます。時代の流れとは言えこれで良いのかと最近思い始めています。このままでは日本作編曲家協会(JCAA)もだんだん会員数が減って行ってしまうと思うのですが‥

皆さんはどうしたら良いと思われますか!?

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