NO.13 2002.4.16

後藤龍伸

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みなさま、初めまして。後藤龍伸です。諸先輩方とはアレンジャーズサミットやスタジオワークでご一緒させていただいており(自分は演奏者として参加しただけですが)、今回はJCAAに入会早々、このような場所で自己紹介の場を与えていただいた事を光栄に思う次第でございます。しかるに、音楽分野ではもちろんのこと、このような電脳系の世界でもすばらしい才能を発揮されている諸先輩方の文才と構成の力に圧倒され、ノートパソコンの前で茫然としているところであります。協会への紹介者であられるボブ佐久間先生が「ついこのあいだまでジャングルを裸足ではしりまわっていた」と形容されていたように、わたくしはブラジルで育ち、日本語はまったくの我流学習、パソコンにいたってはほとんど使い方がわからぬままこの文章を打ち出しておるものですから、なにかと読みずらいことと思いますが、なにとぞご理解のほどをよろしくお願い申し上げます。

さて、自己紹介と申しますか、私のプロフィールでございますが、なにしろ楽隊としての経歴は、業務上書かざるをえないので、たいして重要なことではないのですが、おおまかに書いておくことにいたします。
1964年、東京都小平市に生まれ、1970年から1977年までブラジルにサンパウロに在住、帰国後は東京都杉並区に在住、都立芸高を経て東京芸大器楽科を卒業。1986年から東京シティフィル、1988年から新星日響のコンサートマスターを務めたあと、しばらくフリーの演奏家として活動、1995年からは名古屋フィル、1998年からは九州交響楽団のコンサートマスターとしてふたつのオーケストラを兼任しております。

今までも少しづつ、プロフィールには書いてきたことではあるのですが、私はもともと作曲家になりたくて、人生の節目でいつもあがいていたのですが、なかなか生活に追われる毎日からぬけだせず、クラシックの世界でいえばリストやマーラーといった大作曲家が演奏活動から創作活動に切り替えるのが困難であったことを思い起こし、いつかわたしも壮大な作品を残したいと夢みつつ、悶々と苦悩の毎日を送っています。

こどもの頃からスコアを読むのが大好きで、よく音符を落書きのように書き連ねていたものですが、10歳のときサンパウロのある音楽祭で演奏されたエドガー・ヴァレーズの「ハイパープリズム」を聴いて、「オレは作曲家になろう」と思いたったのでありました。ヴァレーズという作曲家はフランク・ザッパが心酔していたことで知られ、1920年代に前衛的な作品をいくつか残した人です。それからというもの、管弦楽法の本やストラヴィンスキー・マーラーなどのスコアを買ってもらって研究にいそしんでいたわけですが、家庭の事情で急遽、帰国することになり、事態が一転してしまいました。その後の進路について大いに家でもめたわけなのですが、なにしろピアノという楽器に無縁だったので、とても作曲の道に進むことはできませんでした。高校時代はポップスにも興味を持って、古いマントヴァーニやパーシー・フェイスのサウンドにあこがれて、自分の楽団を持つのが夢でした。それを実現すべく、高校・大学とヴァイオリン科を受験して続けているうちに、よき仲間とめぐりあって楽器を弾くこと自体が面白くなってきました。在学中に結成したヴァンガード四重奏団ではメンバー全員が作曲・即興演奏ができたので、とても刺激的な音楽生活を送りました。

ところで、わたしは約十年、カメレオン・オーケストラというユニットを結成して活動してきました。このグループでわずかなオリジナル作品を発表したものの、自信作はほとんどなく、パスティーシュという手法を使った編曲の方に力をそそいできました。パスティーシュというのは、作家の清水義範などによって知られていますが、ある様式を模倣してあえて異なる様式の作品を編曲したり再構築すること、と考えております。ピカソやストラヴィンスキーはこのやりかたで過去の伝統的作品を自ら造り出した作品であるがごとく完成させたわけです。
私の行為はとてもそのような領域に達することはできず、剽窃といわれのを覚悟でやっているわけなのですが、あるきっかけによって私はこの屈折した編曲の世界に目覚めたのでありました。
卒業後、私がアジア世界に関心を持ち始めたばかりの頃、旅行先の香港で買ってきたあるテープに衝撃的な感動をおぼえました。それは多分中国では著明な、立派なクラシックのヴァイオリン奏者がいわゆる名曲を弾いているものなのですが、独奏パートはほとんど原曲のままなのに、バックにピアノやらシンセ、ギター、ドラムが入っていてそれがとんでもないアレンジなのです。いったいどういうスコアを書けばこんな音が作れるのか、それぞれのミュージシャンは一体どういう素性なのか、想像するだけでしばらくは笑いが止まらなかったのですが、そのうち毎日聴かずにはいられない中毒性の魅力をこのテープは持っていました。
知識を持って、様式がかたまってしまうと、もう二度と再現することのできないなにかがあることを、このテープは教えてくれました。それは単なる感動という言葉では言い表わすことのできない不思議な力でした。
そのあとも、現在にいたるまでも、このテープを聴いたときのショックを超えるものを世界各地で探し求め、インド・ヴァイオリンとロシアのオーケストラの共演や、ユダヤ系のジャズヴォーカリストの歌うモーツァルトなど、かなり刺激的なものに巡り会いましたが、なんとか自分の手であの感動を再現したく、模倣の世界にのめりこんでしまいました。
内容が内容だけに、とても商業的な活動は望めませんが、いつも視点の角度を変えながら、音楽の面白さととりくんでいます。

CD:「世界名曲集」「ネオ・ジャポニズム」など


※掲載は所属当時


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