NO.49 2008.5.9

沢田穣治

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「沢田少年物語」(映画編)

幼い時に出会った数々の遊びに耽り、ある日ふと気がつくと年齢だけ大人になってしまった沢田少年(笑。
いまだ遊びを継続中!全く飽きる気配のないまま現在に至っております。そんな沢田少年大人になって自ら子供宣言してしまう始末で、おとな子供である快感と大人としての自覚も少しはあると信じている様子ではあります。でも本質的には我が侭な大人こどもに育ってしまいました(笑)。ま?死ぬまでおとな子供として生きようとする決心がそろそろつきかけて来たようですがね。
そんなわたくしの少年時代は、日々風呂屋までの道中、自転車の後ろの荷台に乗せられ看板屋であるおとんが歌う歌謡曲や懐メロのライブ三昧の日々でした。そんな環境のなか、子供の頃まず興味を抱いたのは映画でした。そもそも、かんばん屋であるおとんはたいがい家で絵や文字を書いており、いつも身近にいて毒満載の影響をその麗しい子供であるわたくしにまき散らしていました。たまに駅前にある場末映画館の工房(上映する作品の看板を職人さんが毎回書いていたのですよね)にも連れて行かれた記憶がありますが、感受性がいちばん豊かな時期にいる沢田少年にとってそりゃもう工房で見る色とりどりに書かれた映画の看板に心惹かれてしまうのは当然です。次第に映画そのものに興味を抱くようになるのも時間がかかりませんでした。今思い返すと上映中の作品をよく観せてもらいました。もちろん大人の映画ばかりでしたがそれがまた子供心に与えるインパクトは計り知れませんですよ、、いや本当!!
特に市川雷蔵の「霧隠れ才蔵」はお気に入りでした。そういえば当時、星由里子と北大路欣也が共演した「千曲川絶唱」でのラブシーンは子供の目には毒でした(笑)。
その後思春期を迎え、写真、車、女子、に興味をいだき当然阪神ファンで勉強嫌いで思い起こせば好きな事の知識だけがやたらと豊富な変態少年になっていきました。そう、なぜに音楽をするようになったと言うと、特に音楽に興味があったわけでもなく小学生から中学生時代は女子にモテたかった、それだけで当初は思春期のあやまちでコントラバスなるものをはじめたものでした。ところがいつしか幼少時の影響から映画音楽と歌謡曲そして当時開催されていた大阪万国博覧会で聴いた武満徹にはまってしまい、この頃からオーケストラ(当時のサウンドトラックは一癖二癖でしたが)に興味を抱き聴くようになっていったのでした。でも聴くのとは違い自分が作りだす音楽は幼いもので熟成にはほど遠いものでありましたが、とにかく楽しく演奏するのに夢中になり、思い起こせばこの頃が沢田少年の今の出発点だったような気がします。
ハチャメチャに作り出した曲は理論的に説明できるものではなく、未熟ながらもただただ自分が聴きたい音楽を作る遊びをしていたようですね。音のパノラマな世界をより視覚的にイメージできる音を紡ぎだす遊びに日々没頭、楽器を弄び、ときには家にあったテープレコーダーを使って今で言うコラージュを作って遊んだりと際限なく音遊びの日々に深くのめり込んでいったわけです。ところで幼少時の影響があるとすれば、映画の仕事に就きたかったのではないかと思われますがそれほど音楽の螺旋から抜け出せなくなったのでしょうか、そのまま音楽を生業にするようになり映画音楽への情熱が湧いてはきたものの機会が与えられない状況が暫く続いていました。そんな折、悶々とする日々にベルリン映画祭に招待された作品上映会にすっと足が伸び、この作品を観るや否や再び映画熱が再燃!!数年後この作品の中川監督とひょんな事で出会い、意気投合し映画の世界へ導いてくれたのです。いまは好きな映画を観て好きな作品に音楽を添える日々。いや?日々風流に浸り好きな車(ジュリアクーペ)に囲まれ写真や音楽など好きな事をして暮らせる幸せ。これもおとんの影響なんでしょうね。今になって親父の偉大な寛容さと遊び心満載の自由さが理解出来る歳になったようです。 おまけですが、いずれは映画監督との野望ももっておりますがね多分(笑。

  

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愛用のカメラと作品

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愛車のアルファロメオ ジュリアクーペ

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