NO.6-4
中西長谷雄
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ロサンゼルス留学記(その4)

USCの映画音楽コースは一年のプログラムです。秋学期が終わり、ようやくロサンゼルスの交通標識や公共料金の支払い方法に慣れてきたころにはもう半分が過ぎていました。一年で終わりですから新入時のごたごたと四年生の就職騒ぎが一緒にやってきます。入学したとたんに卒業後の計画を立てなければなりません。しかも始めての長期外国生活で、「生き馬の目を抜く」映画産業の仕組みを理解するどころか、日常生活を送るための常識もまだ不十分です。運転していて、うっかり道路の反対側を走る心配がなくなった程度です。
それでもあと半年で卒業してしまいます。あやふやな情報をむりやり総合して身の振り方をきめなければなりません。この時点で分かっていたことは、

  1. 今はロサンゼルスに十分能力のある作曲家が余っている。
  2. 同じ能力であればアメリカ人作曲家を選ぶ。
  3. このプログラムを修了して作曲家に成れるのは年に2、3人。
  4. その内、「映画」作曲家として成功するのは5〜10年にひとり。
  5. メジャー映画の作曲ができるまでには最低5年。
  6. エージェントは新人の育成はしないので、仕事は自分自信で交渉して取ってこなければならない。
  7. 音楽の才能は高く見積もって25%程度、あとは人柄とウィットに富んだ会話。
  8. ウィットに富んだ語学力を身につけるには普通7年かかる。
  9. 何人かの講師が私はロサンゼルスで働けるだろうと思っている。

これだけ悪条件がそろっていているのに、なぜ何人かが私は「ロサンゼルスで働ける」と思っていた理由を是非、よーく聞き出したかったのですが、そのために必要な「ウィットに富んだ会話」が出来ませんでした。何はなくとも語学力は重要です。しかもアメリカにいれば英語が自然に話せるようになると思ったら大間違いです。驚いたことに、むしろ日本にいた方が良い参考書や先生がそろっています。語学の問題はさておき、とにかくここまで来たのだから、来る前に考えていたとおり「残れるものなら残ろう」と思いました。

秋学期の終わりに近いある日バディ・ベイカー氏が、サングラスをかけた、いかにも映画業界人といった風貌の人と歩いていました。何か仕事の打ち合わせをしているのだろうと思っていたのですが、まさかその人がクリストファー・ヤング氏だとは思いませんでした。20世紀現代音楽を得意とする作風で、アカデミックなバックグラウンドを感じさる作曲家です。アソシエート・ディーンに昇格したばかりでしたから、私は勝手に哲学的な風貌の大学教授のような人だと決めてかかっていました。

いよいよ私が目当てにしていたクリストファー・ヤング氏の授業の始まりです。「君たちは今、ロサンゼルスにいる。たとえこの先どんなことになっても、映画の作曲家に成れなかったとしても、少なくともここまで来れたということは大変なことだ。どれだけ多くの人がここまで来ることすらできなかったということを考えてほしい。これから君たちには色々なつらいが起るだろう。道は厳しい。しかし決して希望だけは捨ててはいけない。」

一所懸命生徒を励ましているつもりなのですが、この先大変だということばかり印象に残りどうしても励まされているように感じません。「私もこのプログラムを終えてから色々苦労をした。多くの事も犠牲にした。ニューヨークの映画館の前を歩きながら、どうして自分でなく誰か他の人がやっているのだろう、どうして映画作曲家になれないのだろう、泣きそうになりながら考えたものだ。」

分厚い自分のスコアを生徒全員に10部ずつ配り、大音響で自分の音楽を聴かせながら、「失礼、ちょっと中毒なので」といって窓から半分顔を出してタバコに火をつけ、時々こちらを振り返リながら話しを続けます。(ロサンゼルスでは公共施設でタバコを吸うのは違法です。)なんだか良く分からないけれど、とにかく一所懸命話をします。一所懸命タバコも吸っています。生徒は勢いに押され、あっけに取られてみています。

少々変わった人でも。私は尊敬する作曲家に会えて嬉しかったのですが、あまりの大音響に他の教授からクレームがつき、「ここでは音楽が聴けない、来週からうちのオフィスで授業をしよう」ということになりました。どうもこの先生はアソシエート・ディーンなのに年に1、2回しか大学に来ないようです。忙しいので半分ぐらい授業をキャンセルするのですが、その代わり卒業式が終わっても2ヵ月ぐらい独自の授業は続いていました。めったに大学に来ないので卒業式が終わったのに気付いていなかったのかもしれません。

大音響で耳をやられているせいか、ヤング氏は外国人の英語を理解するのが得意でありません。イギリス英語を話すヨーロッパの生徒の言葉もよく聞き返しています。まして私の話していることは半分ぐらいしか通じていないようですが、初めての作曲課題で直ぐに私が普通の音大生でない事を見破りました。他の生徒が帰ったあとスコアと履歴書を持ってくるよう言われ、あわてて旅行ガイドブックの「アメリカ人へのプレゼント」の覧を読み直し、スコアといっしょに持っていきました。(つづく)

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◎中西長谷雄(なかにしはせお) Profile
略歴:1958年東京に生まれる。1982年国際基督教大学教養学部卒業。2001年南カリフォルニア大学音楽校大学院修了、映画音楽専攻。デジタルレコ−ディングシステム・シンクラビア等シンセサイザーのプログラマーを経て現在作曲・編曲家。

*2001年:南カリフォルニア大学音楽校大学院修了、映画音楽専攻
o Norman "Buddy" Baker, Richard Bellis, Elmer Bernstein, Jon Burlingame, Gerge Burt, Joe Harnell, Ed Kalnins, Brian King, David Raksin, Leonard Rosenman, Jack Smally, David Spear, Christopher Young.
* 1991〜1997年:真鍋理一郎に管弦楽法を学ぶ
* 1982年:佐藤博にコンピューター音楽
* 1982年:国際基督教大学教養学部卒業、哲学、数学専攻
* 1980〜1982年:松本秀彦ジャズスクール、小谷教夫にジャズピアノ、理論を学ぶ。

* 2000年 The Society of Composers and Lyricists(米国)準会員
* 1999年 松村禎三、山本直純、両氏の推薦により作曲家協議会会員。
* 1998年 小野崎孝輔氏の推薦により作編曲家協会会員。

* 主な取引先
o 東宝株式会社
o 株式会社博報堂
o 株式会社オズミュージック
o 株式会社フューチャーブレイン


※掲載は所属当時

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